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  その他の名城・・・・・No.KI007 大溝城
 JR近江高島駅の東南約150mにあります。石垣に囲まれた小高い森が、大溝城の天守跡です。大溝城は新荘城(現新旭町)にいた織田信澄(のぶすみ)が、安土・桃山時代に築城したもので、商家や寺院などを移して城下町を造りました。本丸の南東の乙女ヶ池は琵琶湖の内湖で、古地図によると、大溝城は城堀を内堀とし、乙女ヶ池を外堀とする水城であり、「鴻湖(こうこ)城」とも呼ばれました。江戸時代に分部光信が城主になると、この地を陣屋として12代光謙(みつのり)の明治維新までその支配が続きました。


※びわ湖高島観光ガイドHPより引用


 
 概要  平城
 別名  高島城、鴻溝城(鴻湖城)
 築年/廃年  天正6年(1578年)/文禄4年(1595年)頃
 築城主  津田(織田)信澄
 歴代城主  織田氏(津田氏)、丹羽氏、加藤氏、生駒氏、京極氏
 所在地  滋賀県高島市勝野
 最寄り駅  JR湖西線近江高島駅から徒歩約7分
 最寄りIC  北陸自動車道木之本IC 国道303号線→国道161号線経由
 駐車場  高島市民病院の有料駐車場
 ウェブサイト  びわ湖高島観光ガイドHP


  周辺の地図



  大溝城の見どころその他情報
  2024年11月9日に登城しました。
朝早くに出発したので着いたのが8時半ごろでした。無料の駐車場もあるようですがわからなかったので高島市民病院病院の駐車場を利用しています。駐車場から本丸跡まですぐなのでよいかもしれません。天守台の周りに低いですが石垣が巡らされいて規模は小さくてもなかなかのものです。大溝城は平城なので天守台跡も低くて10段ほど石段を登れば到着です。天守台跡の地面には大きな石がいくつかありましたが礎石ではなさそうな感じでした。天守台の周りも行ける範囲で巡ってみましたが草のせいで行けない範囲もありましたね。
曲輪については
病院と本丸推定地の間にある駐車場が二ノ丸推定地をされていてその駐車場から北西方向にある駐車場が三ノ丸推定地とされています。曲輪も残っていたらよかったのですが・・・ただ天守台の奥に曲輪と思われる平地があったのですが、どうなのでしょうか。それから乙女ヶ池(内湖)の方まで歩いて駐車場まで戻ってきました。残念なのが、時間的に10時から開館の大溝陣屋 総門(資料室と案内所)に行けなかったことです。天守台の入口にある看板にも書いてありますが、資料室や案内所になっているのでまたの機会に行ってみたいと思っています。



 見どころ

 ◆石垣
 ◆堀
 ◆天守台
等が見所となります。

 観光スポット

白鬚神社 湖中に朱塗りの大鳥居があり、国道161号をはさんで社殿が鎮座します。「白鬚さん」(しらひげさん)、「明神さん」の名で広く親しまれ、また近江の厳島(いつくしま)とも呼ばれる近江最古の大社です。社名のとおり、延命長寿・長生きの神様として知られ、また、 縁結び・子授け・開運招福・学業成就・交通安全・航海安全など、人の営みごと、業ごとすべての「導きの神」でもあります。祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)です。創建以来2000余年の歴史を誇り、現在の社殿は豊臣秀吉の遺命によって、その子秀頼が片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として造営したものです。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用
高島びれっじ いにしえの風情ただよう旧城下町、高島市勝野地区。陣屋の総門や武家屋敷が今なお残っています。その一角で油商を営んでいた築150年の旧商家を商工会の有志が手づくりで改修し「びれっじ」として再生しました。現在は1~8号館まで整備されています。歴史に思いを馳せながら散策した後は食事や体験、お買い物をお楽しみください。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 
清水山城  清水山城は現高島市新旭町熊野本・安井川に所在します。清水山城は戦国時代のお城を見るうえで大切な遺跡として、清水山城遺跡、清水山遺跡(清水寺・屋敷地)、本堂谷遺跡(大宝寺・屋敷地)の範囲が、清水山城館跡(しみずやまじょうかんあと)として平成16年2月27日に国史跡に指定されました。西佐々木一族の惣領佐々木越中氏の居城と伝えられています。清水山城の城下は、推定される大手道が接続する西近江路に沿って南北に広がっていたと考えられています。※史跡地内には、トイレはありませんので、新旭森林スポーツ公園内の施設等、他の公共施設をご利用ください。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用
田中城 田中郷の領主・田中氏の居城であった田中城は、泰山寺野台地から舌状にのびる支丘の先端部に築かれた中世末期の山城で、現在も上寺(うえでら)区西側の山間部にその遺構を残しています。主郭があったと推定される曲輪の標高は220m、平地との比高差はわずか60mで同時期の山城と比べて標高の低い場所に位置していますが、城域の要所に堀切、土塁、武者隠しなど外敵を防ぐための遺構が見られ、相当の規模を誇る城郭であったことがうかがえます。元亀元年(1570年)4月、織田信長は越前の朝倉義景を討つため「田中の城」に逗留したと「信長公記」に記されており、この軍勢には後の豊臣秀吉、徳川家康も参加していました。その後、浅井長政の勢力下に置かれた田中城は元亀4年(1573年)に信長の手によって攻略され、明智光秀の支配を受けて終焉を迎えますが、田中氏の流れをくむ田中吉政は、秀吉、家康に相次いで仕え、三河国岡崎城主、筑後国柳川城主として城下町の建設・整備に手腕を発揮したことで現在も称えられています。 ※山城入口には獣害対策用の柵があります。施錠無しの為手動で開閉可能ですが、開門後は忘れずに閉門してください。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 
 大溝陣屋総門 大溝陣屋の正門である総門は、陣屋に関係する建造物で唯一現存する貴重な文化財です。現在は、高島・大溝エリアの案内拠点「大溝まち並み案内処」として、大溝城御城印とお城カードの取り扱い等も行っています。また、2024年4月1日には復原工事が完了しリニューアルオープン。 新たに、地域文化財の展示スペースや、大溝城をCG映像で再現した紹介動画「よみがえる大溝城ー織田信長が築かせた水城」(約15分)が随時放映され、観光客や歴史ファンの方にも気軽にお立ち寄りいただける空間となっています。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 



     






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