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  その他の名城・・・・・No.KI004 清水山城
 史跡清水山城館跡は、饗庭野台地の南東部に位置しています。西佐々木一族の惣領家である佐々木越中氏の居城と伝えられています。標高約210mの主郭を中心として、北西・南西・南東の三方の尾根上に曲輪を配置する放射状連郭式の山城です。主郭からは、琵琶湖と安曇川流域を一望できます。湖西の山城で最大の規模を誇ります。 山城の中心地である主郭では、発掘調査により大規模な礎石建物跡や多量の遺物が見つかりました。出土した遺物から、織田信長が高島を攻略する元亀4年(1573)頃まで存続していたと考えられています。県下最大規模の堀切や畝状空堀群や土塁、曲輪など厳重な防御機能が残っています。戦国期の有力豪族のあり方を知る上で貴重な城郭であることから、平成16年に国の史跡に指定されました。


※滋賀・びわ湖観光情報HPより引用


 
 概要  山城
 別名  ―
 築年/廃年  室町時代/不明
 築城主  佐々木氏
 歴代城主  佐々木氏
 所在地  滋賀県高島市新旭町熊野本・安井川
 最寄り駅  JR新旭駅から徒歩約45分
 最寄りIC  北陸自動車道木之本IC 国道303号線→国道161号線経由
 駐車場  新旭森林スポーツ公園
 ※史跡地内には、トイレはありませんので、新旭森林スポーツ公園内の施設等、他の公共施設をご利用ください。
 ウェブサイト  高島市HP


  周辺の地図



  清水山城の見どころその他情報
  2024年11月9日に登城しました。
清水山城へは森林スポーツ公園の駐車場に車を停めて登城するのが便利です。だいたいどこの山城でもそうですがトイレはありませんので公園のトイレで用を足してから登城しましょう。駐車場から案内版に従って緩やかな坂道を登っていくとおなじみの門扉が現れます。いつものように開けたらしっかりと閉じてからフェンス沿いの細い道を進むと清水山城跡の案内版がありその横にパンフレットを入れた木でできた入れ物があったのですが、残念なことにからっぽでした。高島市さん、定期的に補充の方よろしくお願いします。<m(__)m>まず東屋敷があったところを見学してから土塁の間を抜けるような感じで西屋敷のあった方へと移動しましたが途中にアリノコシというところがありなんだろうと思い後で調べてみると急峻な切り立った谷のことを言うようです。確かに見た目そういう感じでしたね。それから結構広い場所の西屋敷加賀殿に到着です。ここから主郭を目指して登りますが、途中には土塁や曲輪、堀切があり見どころの畝状空堀に到着です。それほど深くありませんが主郭の方までしっかりと見ることができます。その横の木の階段を登っていくと見晴らしのよい主郭に到着です。ここからびわ湖はもちろん伊吹山や彦根市街方面まで見渡すことができます。天気がよかったので素晴らしい眺めでしたよ。主郭には虎口や土塁、礎石建物跡がありここから二郭への案内版があり案内に従って進みましたが切り岸のように急な斜面になっており降りるのは危ないと判断し一度畝状空堀の所まで戻って行くことにしました。そこから右手に進むとなんの苦労もすることなくすんなり2郭に着きました。この方法で行かれるのが良いと思います。そして3郭の案内がありその方向を見てみるとまたも急な斜面で3ヶ所ぐらい虎ロープが下に垂らしてありましたがこちらも怖くて行くのを断念しました。ロープはあるものの細いし切れたら危険なので。しかし、2郭と3郭の急な斜面は登ることができないので主郭に敵が侵入するのはかなり難しそうで守りは堅かったように思えます。清水山城の見学はここまでで公園の方まで戻ることにします。


 見どころ

 ◆竪堀
 ◆畝状空堀
 ◆土塁
 ◆切岸
 ◆曲輪
等が見所となります。

 観光スポット

大溝城跡 JR近江高島駅の東南約150mにあります。石垣に囲まれた小高い森が、大溝城の天守跡です。大溝城は新荘城(現新旭町)にいた織田信澄(のぶすみ)が、安土・桃山時代に築城したもので、商家や寺院などを移して城下町を造りました。本丸の南東の乙女ヶ池は琵琶湖の内湖で、古地図によると、大溝城は城堀を内堀とし、乙女ヶ池を外堀とする水城であり、「鴻湖(こうこ)城」とも呼ばれました。江戸時代に分部光信が城主になると、この地を陣屋として12代光謙(みつのり)の明治維新までその支配が続きました。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用
田中城 田中郷の領主・田中氏の居城であった田中城は、泰山寺野台地から舌状にのびる支丘の先端部に築かれた中世末期の山城で、現在も上寺(うえでら)区西側の山間部にその遺構を残しています。主郭があったと推定される曲輪の標高は220m、平地との比高差はわずか60mで同時期の山城と比べて標高の低い場所に位置していますが、城域の要所に堀切、土塁、武者隠しなど外敵を防ぐための遺構が見られ、相当の規模を誇る城郭であったことがうかがえます。元亀元年(1570年)4月、織田信長は越前の朝倉義景を討つため「田中の城」に逗留したと「信長公記」に記されており、この軍勢には後の豊臣秀吉、徳川家康も参加していました。その後、浅井長政の勢力下に置かれた田中城は元亀4年(1573年)に信長の手によって攻略され、明智光秀の支配を受けて終焉を迎えますが、田中氏の流れをくむ田中吉政は、秀吉、家康に相次いで仕え、三河国岡崎城主、筑後国柳川城主として城下町の建設・整備に手腕を発揮したことで現在も称えられています。※山城入口には獣害対策用の柵があります。施錠無しの為手動で開閉可能ですが、開門後は忘れずに閉門してください。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 
針江生水の郷  針江生水の郷 新旭町針江(はりえ)地区は、里山の写真家・今森光彦さんが撮り2004年1月にNHKハイビジョンスペシャルで放映された映像詩『里山・命めぐる水辺』の舞台となった場所です。地域の綺麗な湧き水を、地域住民は生水(しょうず)と呼び、昔から大切に利用してきました。集落の中を巡る水路やその水を生活用水に利用したシステムを"かばた"(川端)と呼んでいます。このような水の文化、美しい景色、地域の人との触れあいなどを求めて今では日本中、海外よりたくさんの人が見学に見えるようになりました。針江生水の郷委員会では、びわ湖周辺の豊かな自然や水辺の暮らし、または地域の人々に触れながら、現代の暮らしを見つめ直すきっかけを感じていただけるようにと、かばた見学ツアーを行っています。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用
BIWAKO AQUA PONICS  非日常的な異次元空間でトマトとオニテナガエビを究極の循環システムで育成しています。皆様の目と鼻と耳を楽しませる施設を見学いただき、トマトの収穫体験が出来ます。ぜひ、癒し空間を存分に味わいにお越しください。又、キャンプでの食材調達にも便利です!
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 
 風車街道の桜 新旭町の湖周道路は、春になると延々約6kmにわたりソメイヨシノがピンク色に染まります。春の琵琶湖を背景に、自然の移り変わりを体感できるこのコースはサイクリングコースとしても人気があります。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 



     






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