大溝城跡 |
JR近江高島駅の東南約150mにあります。石垣に囲まれた小高い森が、大溝城の天守跡です。大溝城は新荘城(現新旭町)にいた織田信澄(のぶすみ)が、安土・桃山時代に築城したもので、商家や寺院などを移して城下町を造りました。本丸の南東の乙女ヶ池は琵琶湖の内湖で、古地図によると、大溝城は城堀を内堀とし、乙女ヶ池を外堀とする水城であり、「鴻湖(こうこ)城」とも呼ばれました。江戸時代に分部光信が城主になると、この地を陣屋として12代光謙(みつのり)の明治維新までその支配が続きました。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 |
田中城 |
田中郷の領主・田中氏の居城であった田中城は、泰山寺野台地から舌状にのびる支丘の先端部に築かれた中世末期の山城で、現在も上寺(うえでら)区西側の山間部にその遺構を残しています。主郭があったと推定される曲輪の標高は220m、平地との比高差はわずか60mで同時期の山城と比べて標高の低い場所に位置していますが、城域の要所に堀切、土塁、武者隠しなど外敵を防ぐための遺構が見られ、相当の規模を誇る城郭であったことがうかがえます。元亀元年(1570年)4月、織田信長は越前の朝倉義景を討つため「田中の城」に逗留したと「信長公記」に記されており、この軍勢には後の豊臣秀吉、徳川家康も参加していました。その後、浅井長政の勢力下に置かれた田中城は元亀4年(1573年)に信長の手によって攻略され、明智光秀の支配を受けて終焉を迎えますが、田中氏の流れをくむ田中吉政は、秀吉、家康に相次いで仕え、三河国岡崎城主、筑後国柳川城主として城下町の建設・整備に手腕を発揮したことで現在も称えられています。※山城入口には獣害対策用の柵があります。施錠無しの為手動で開閉可能ですが、開門後は忘れずに閉門してください。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 |
針江生水の郷 |
針江生水の郷 新旭町針江(はりえ)地区は、里山の写真家・今森光彦さんが撮り2004年1月にNHKハイビジョンスペシャルで放映された映像詩『里山・命めぐる水辺』の舞台となった場所です。地域の綺麗な湧き水を、地域住民は生水(しょうず)と呼び、昔から大切に利用してきました。集落の中を巡る水路やその水を生活用水に利用したシステムを"かばた"(川端)と呼んでいます。このような水の文化、美しい景色、地域の人との触れあいなどを求めて今では日本中、海外よりたくさんの人が見学に見えるようになりました。針江生水の郷委員会では、びわ湖周辺の豊かな自然や水辺の暮らし、または地域の人々に触れながら、現代の暮らしを見つめ直すきっかけを感じていただけるようにと、かばた見学ツアーを行っています。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 |
BIWAKO AQUA PONICS |
非日常的な異次元空間でトマトとオニテナガエビを究極の循環システムで育成しています。皆様の目と鼻と耳を楽しませる施設を見学いただき、トマトの収穫体験が出来ます。ぜひ、癒し空間を存分に味わいにお越しください。又、キャンプでの食材調達にも便利です!
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 |
風車街道の桜 |
新旭町の湖周道路は、春になると延々約6kmにわたりソメイヨシノがピンク色に染まります。春の琵琶湖を背景に、自然の移り変わりを体感できるこのコースはサイクリングコースとしても人気があります。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 |