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  続日本100名城・・・・・No.194 佐伯城
 佐伯城は、番匠川河口に位置し、豊後水道を見下ろす標高144mの城山(築城時は八幡山)に築かれた、江戸時代の山城です。慶長6年(1601)に初代藩主となった毛利高政(もうりたかまさ)が、翌年から藩政の拠点として築きました。 山頂部に石垣造りの本丸、本丸外曲輪、二の丸、西出丸、北出丸を配置し、城の背後にあたる北西斜面には雄池(おんいけ)と雌池(めんいけ)を造っています。南東の山裾には三の丸を設け、藩の政治や藩主の日常生活の場としました。佐伯城跡は、山頂の城郭と麓の屋形という中世山城の曲輪(くるわ)構造に、近世初頭に発達した石垣技術を融合させ、さらに江戸時代を通して山全体を維持していくための工夫も残る貴重な城跡であることから、令和5年3月20日に国の史跡に指定されました。

※佐伯市歴史資料館HPより引用

 
 概要  平山城
 別名  鶴ヶ城、鶴屋城
 築年/廃年  慶長11年(1606)/明治以降
 築城主  毛利高政
 歴代城主  毛利高政→高成~高謙
 所在地  大分県佐伯市大手町1-1-1
 最寄り駅  JR日豊線佐伯駅
 最寄りIC  東九州自動車道佐伯IC 国道217号線経由
 駐車場  有(無料)三の丸櫓門前駐車場
 休館日  月曜日(祝祭日の場合は翌日) 12月29日~1月3日(佐伯市歴史資料館の休館日 お城は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  佐伯市歴史資料館
 佐伯市城下町 観光交流館(※佐伯市歴史資料館が休館日の場合のみ押印できます)
 ウェブサイト  佐伯市観光ナビHP


  周辺の地図



  佐伯城の見どころその他情報
 2025年10月23日に登城しました。
10月22日の夕方に歴史資料館でスタンプをゲットしておきました。翌23日に登城です。まずは三の丸櫓門でこの櫓門は石垣の間に門がありその上に櫓を配置した重厚な門になっています。この三の丸櫓門は天保3年(1832)のものと言われているそうです。櫓門から登城路の方に移動しますが、登り口付近にカッパの像があります。佐伯市とカッパは深いつながりがあります。これは、佐伯の郷土料理「ごまだし」に使うエソ(魚)が、カッパが好む魚だったという伝説に由来し、市内のあちこちにカッパの像が設置され、佐伯の街を盛り上げているそうです。カッパの像をあとにして登城路の方に進みますが、登城路が数ヶ所ある中で登城の道を利用することにして登ります。大きな石がごろごろしている中を登って行き、途中には七曲を思わせるくねくね道もあり15分ほどで上に到着です。最初に左手にある二ノ丸の方を見学しましたが、この二の丸には屋形があったそうです。ですが延享元年(1744)に失われた可能性があるとのことです。そして二の丸の先には西出丸という出丸があって、二重櫓跡は、石垣がクランク状に曲がっています。これは安政の大地震で石垣を支える岩盤が崩れたためこのような形になったそうです。西出丸から本丸に向かいますが、二の丸と本丸の間には廊下橋跡があって石垣をV字形に切ってその上に木の橋がある感じです。廊下橋を渡ると本丸跡で石段を備えた天守台があります。上に登ると石垣で囲われた上に小さな鳥居と祠のようなものがありましたが何かお祭りしているのでしょうか。石段を降りて北出丸に向かいます。特に何もないですがここから北出丸に沿うようにぐるりを回って行くと右手に雛壇状石垣が見えます。ただ行った時は草が結構生えていて石垣は見にくかったです。草を刈っていただいてる時期だと最高ですよ。(パンフレットに写真があります)撮影したものはちょうど上の写真の下の右側の写真になります。一通り見学したので降りることにさいますが、帰りは独歩碑の道を利用することにします。


 見どころ

 ◆石垣
 ◆雛壇状石垣
 ◆三の丸櫓門
 ◆廊下橋
等が見所となります。

 観光スポット

 佐伯市歴史資料館 佐伯市歴史資料館は、平成27年5月、城山のふもと、近世城下町の景観を残す「歴史と文学のみち」の起点に開館しました。この場所は、江戸時代には佐伯藩の役所として、明治時代には旧藩主毛利家の屋敷として利用され、佐伯の歴史において重要な役割を果たしてきました。佐伯市歴史資料館では、江戸時代を中心に、中世(平安時代末期〜戦国時代)から近代初頭(西南戦争)までの佐伯の歴史を主要なテーマとします。常設展示では、中世に勢力を誇った佐伯氏と栂牟礼城、佐伯藩の成立初代藩主毛利高政、佐伯城と城下町の建設、政府軍と西郷軍の攻防を伝える西南戦争跡などをわかりやすく紹介しています。
※佐伯市観光ナビHPより引用
城下町佐伯国木田独歩館 城下町佐伯 国木田独歩館は、明治26年(1893年)10月から明治27年(1894年)7月末までのわずか10ヶ月間、当時22歳の国木田独歩と弟収二(15歳)が下宿した坂本永年邸です。坂本永年は、独歩が教師を務めた鶴谷学館 の館長であり、公私ともに面倒をみていました。独歩は主屋2階に下宿。裏山にあたる城山の山上まで散歩することも多かったようです。当時の佐伯の人口は5000人ほどの町でした。このような佐伯と独歩のかかわりを、彼の過ごした坂本邸でご紹介するために建物を修復、「城下町佐伯 国木田独歩館」として公開することになりました。
※佐伯市観光ナビHPより引用 
白潟遺跡 白潟遺跡は、城山の西山麓にある若宮八幡宮横の丘陵に存する。この遺跡からは、弥生時代の2つの貝塚と竪穴式住居や土器、奈良・平安時代の掘立柱建物跡、土師器、蔵骨器などが発掘され、この台地が弥生時代から奈良・平安時代に至るまで、人々の生活の場であったことがうかがえる。貝塚からは貝類のほか、獣骨、魚骨、石包丁、土器など多数の遺物が出土した。なお、下城式土器と呼ばれる甕形の弥生土器は、東九州に特有な地方色を有するものとして、分類・編年されている。また、この遺跡は弥生人の住居に最適な自然環境であり、当時の汀線を考え、海進状況を想定するのに格好な遺跡でもある。
※佐伯市HPより引用 
佐伯市茶室汲心亭 茶室 汲心亭は、「お茶を汲むということはお客様に心を汲んで接待する」ということから命名されました。茶道の本元、大徳寺「福富雪底」管長より命名していただきました。「路入桃源深更深(路は桃源に入りて深くして更に深し)」との意味が込められています。木造平屋建、屋根は銅板葺、客室は8畳(2室)、6畳(1室)のほか付帯施設からなります。茶庭は、城山の借景を利用し修景を施した枯山水。心おちつく空間となっています。
※佐伯市観光ナビHPより引用

     






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