鞠智城は、東アジア情勢が緊迫した7世紀後半(約1300年前)に、大和朝廷(政権)が築いた山城です。 663年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷(政権)が日本列島への侵攻に備え西日本各地に築いた城の一つで、九州を統治していた大宰府やそれを守るための大野城・基肄(きい)城に武器・食糧を補給する支援基地でした。
『続日本紀(しょくにほんぎ)』など、国の歴史書にも記載のある全国有数の重要遺跡として、平成16年2月27日に国史跡に指定されました。
周囲の長さ3.5km、面積55haの規模をもつ城で、昭和42年度からの県の発掘調査により、八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡や、貯水池跡、土塁跡など、当時の姿を物語る貴重な遺構が相次いで発見されています。
※歴史公園鞠智城・温故創生館HPより引用
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