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  続日本100名城・・・・・No.184 基肄城
 7世紀後半、朝鮮半島では中国の唐と新羅(しらぎ)の連合軍が百済(くだら)を滅ぼしました。その百済復興のため、日本は援軍を送る決断をしましたが663年の白村江の戦いで大敗してしまいます。このため、唐と新羅の連合軍が国内に攻めてくるかもしれないという緊迫した情勢が生まれ、中大兄皇子(後の天智天皇)は大宰府防衛施設の建造を急ぎました。こうして665年に築かれたのが基肄(きい)城です。百済高官の指導により築かれたこの朝鮮式山城は、大野城とともにわが国最古の山城といわれ、山全体の地形を使い周囲4キロに城壁を廻らす壮大なもので、今もその雄大さを感じることができます。

※基山町HPより引用

 
 概要  古代山城
 別名  ―
 築年/廃年  天智天皇4年(665)/不明
 築城主  大和朝廷
 歴代城主  不明
 所在地  佐賀県三養基郡基山町小倉
 最寄り駅  JR鹿児島本線基山駅
 最寄りIC  鳥栖筑紫野自動車道宮浦IC、城戸IC
 駐車場  有(無料) 基山(きざん)草スキー場駐車場
 休館日  毎月第4月曜日 年末年始(基山町民会館の休館日ですが
 いつでもスタンプ捺印はOKです お城は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  基山町民会館事務所
 ウェブサイト  筑紫野市HP


  周辺の地図



  基肄城の見どころその他情報
  事前に基山町にお願いし資料を取り寄せ、ネットでもmapを入手し準備はしていたものの手に入れたものが詳しくなく見学できなかったところがいくつもありました。詳細なmapを入手できたら再度訪問したいと思います。
尚、山頂へは草スキー場の駐車場から登りましたが、急な坂を上り山頂に着いた時の爽快感と眺望がよかったです。

 見どころ

 ◆水門跡
 ◆礎石群
 ◆いものがんぎ
 ◆土塁跡
 ◆鐘楼跡
等が見所となります。

 観光スポット

太宰府天満宮 菅原道真公を祀る。全国の天満宮の総本社。学問の神様として親しまれ、祈願の人々で賑わう。境内には天然記念物のヒロハチシャやクスの木、梅、花菖蒲があり、四季折々の風情が楽しめる。
※クロスロードふくおかHPより引用
太宰府政庁跡 大宰府とは7世紀後半から奈良・平安時代を通じて置かれた役所の名。「都府楼跡」でよく知られている場所がその中心の政庁域であった。大宰府は九州全体を治め、日本の西の守りとして防衛を、また外国との交渉の窓口でもあるなど重要な役割を果たした。
※クロスロードふくおかHPより引用 
九州国立博物館 東京国立博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館に次いで108年ぶりに新設された国内4番目の国立博物館。平成17年10月16日に太宰府天満宮裏の丘陵地に開館した。山並みをイメージした曲線的な大屋根とダブルスキンガラスの外壁で覆われた巨大な建物が目を引く。
※クロスロードふくおかHPより引用 
九州歴史資料館 平成22年11月、太宰府から移転オープン。敷地面積は旧館の2倍になり、展示内容も充実。土曜日、日曜日、祝日には土器パズルなどができる体験学習も開催している。
※クロスロードふくおかHPより引用
水城 市の北西に平野の出入口を塞ぐように木立に覆われた丘が続く。これは664年に、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた防衛施設「水城」である。丘と見違えるのは、人の手で積み上げた大提(土塁)で、その規模は全長1.2km、基底部の幅80m、高さ14mに及ぶ。
※クロスロードふくおかHPより引用
吉野ヶ里遺跡 弥生時代は約700年間も続く長い時代ですが、吉野ヶ里遺跡は、この弥生時代の全ての時期の遺構・遺物が発見された学術的価値の高い遺跡です。平成元年(1989年)に発掘され、一躍日本中の注目を浴びた吉野ヶ里遺跡は、平成13年(2001年)「弥生人の声が聞こえる」をテーマに日本の優れた文化的資産の吉野ヶ里遺跡の保存と、当時の施設の復元や発掘した遺物の展示などを通じて、弥生時代を体験できる「国営吉野ケ里歴史公園」としてオープンしました。
※神埼市観光協会HPより引用

 お知らせ

 日本城郭協会からの案内です。
平成30年西日本豪雨による被害のため、現在続日本100名城の基肄城(基山)には登城出来ない状況になっています。
道路が通行止めになっておりますので車での登城はできません。
徒歩での登城もがけ崩れなどで危険なため当分の間、お控えください。
なお、スタンプの押印は可能です。


     






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