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  続日本100名城・・・・・No.173 新高山城
 竹原小早川家から本家沼田小早川家の17代となった小早川隆景は、高山城に入場した1年後、天文21年(1552)、副塁としていた沼田川対岸の新高山山頂の砦を修築し、ここに本拠を移した。新高山城からは沼田川流域や河口の展望がよくきき、水運の便もよく、また、家臣の人心一新のため城替したと言われる。沼田川をはさんで高山城に対峙し、北側と東側は沼田川によって天然の壕をなしている。標高197.6m、東よりの中腹以上の斜面には岩石が露出し、いたるところに岸壁がそそりたち、するどくそびえた峻厳な山容である。城の縄張りは東西約400m、内郭は頂上尾根や鞍部を巧妙に活用して本丸・東の丸・ライゲンガ丸・中の丸・釣井の段(井戸郭)・西の丸・北の丸等が構築されている。外殻は斜面の中腹から張り出した二つの尾根を利用し、大手側を固める意図をもって巧妙に配置され、匤真寺跡・鐘の段・番所跡・紫竹の丸・シンゾウス郭・大手道などがある。これらの郭はすべて山地を削平し、又は、切削り、あるいは堀切り、必要な箇所は石積で補強し、随所に帯曲輪や腰曲輪で結ばれ、また、石垣、空堀、竪堀を設けている。とくに近世城郭に関連する枡形城門の採用が各所にみられる。

※お城のパンフレットより引用

 
 概要  山城
 別名  雄高山城
 築年/廃年  天文21年(1552)/慶長元年(1596)
 築城主  小早川隆景
 歴代城主  小早川隆景
 所在地  広島県三原市本郷町本郷
 最寄り駅  JR山陽線 本郷駅 徒歩20分(大手道入り口まで)
 最寄りIC  山陽自動車道 本郷IC 県道82号線経由
 駐車場  有(無料)  大手道入り口の近く
 休館日  12月28日~1月4日(本郷生涯学習センターの休館日で城跡は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  本郷生涯学習センター
ウェブサイト  三原観光navi


  周辺の地図

    

  新高山城の見どころ・その他情報
 本郷生涯学習センターで新高山城への行き方を聞いて行きましたが、橋を渡ってからすぐ右折してから左右に分かれる道路がありそこを左へ行ってください。不覚にも右へ行ってしまい引き返してしまいました。左の道をまっすぐに行き、工場の前を通りしばらく走ると、駐車場に到着。降りて少し戻ると民家横に大手道入口があります。大手道を登りまずは3カ所ほどある番所跡を経て匡真寺跡へ。そして中の丸や本丸から詰の丸へ。この詰の丸には石造物があったり音声で説明を聞くことができ、さらに見晴らしがよく景色がいいですよ。次に釣井の段に移動すると井戸が何カ所かありこの山城も井戸をいくつか持っていたのだなと。そして再度中の丸へ移動しようとしたら行き先の右前方に何か動物がいたので、目をこらして見るとなんと野ウサギでした。山城に行くと時々生き物を見ますが、野ウサギは初めてでした。中には見たくないのもいますが・・・。それから西の丸、北の丸などを見て最後に番所下の鐘の段に寄って下山しました。本丸では、永禄4年(1561)には毛利元就・隆元親子が10日間滞在し、隆景は、会所、表座敷、裏座敷、高間、常の茶の間などの建物で、連日、能楽や連歌、太平記読み等を催して饗応接待したそうです。最後に、新高山に掘られたトンネルを新幹線が走っているので、新幹線の走る音が聞こえます。新幹線の音を聞きながら登ることのできる山城は珍しいと思います。

 見どころ

 ◆鐘の段
 ◆本丸
 ◆詰の丸
 ◆釣井の段
 ◆西の丸
 ◆竪堀跡
 ◆中の丸
 ◆東の丸
等が見どころとなります。

 観光スポット

三景園 広島県の代表的な景観でもある里・山・海をモチーフとした、築山池泉回遊式庭園です。三段の滝、数寄屋風水上建築の潮見亭など見どころも多く、また四季折々の花木の美しさで訪れる人を魅了します。
※三原観光naviHPより引用
中央森林公園 広島空港周辺の自然を生かした公園で、日本庭園「三景園」と公園センターを中心にサイクリングロード、運動広場、多目的広場、バーベキュー広場などのゾーンに分かれている。また、空港周辺の諸団体と連携をとった種々のイベントを開催している。
※三原観光naviHPより引用 
大善寺 江戸時代、三原には過ぎたるものが三つあると他藩から羨ましがられました。それは三万石にはふさわしからぬ大きな城、葵の紋所大段幕、そしてすぎたる智者鈴木方衛という家来がいたことでした。その後の三つが、この寺に関係あるのです。境内墓地の西南にひときわ大きい宝篋印塔が目にとまります。これは三原城主4代浅野忠義の母「月渓院殿心誉栄讃珠光大法尼」であります。
※三原観光naviHPより引用 
三原城 三原城は永禄10年(1567年)、毛利元就の三男・小早川隆景によって、大島・小島をつないだ埋め立て地に建てはじめられたと伝わっています。現在は天主台や舟入櫓の一部しか残っていませんが、当時は、東は湧原川から西は臥龍橋付近まで約900m、南北には約700mもの長さだったといわれています。
※三原観光naviHPより引用


     







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