黒井の町並みのすぐ北側にそびえる黒井城趾は、猪ノ口山(標高356メートル)にある山城で、南北朝時代建武2年(1335)春日荘を領した赤松筑前守貞範が山頂に砦を築いたことからその歴史が始まりますその後、約200年数代にわたって城主の変遷がありましたが、戦国動乱のさ中の天文23年(1554)荻野(赤井)悪右衛門直正が城主となりその勢力の拡大とともに大改修の手を加えたのが現在の黒井城です。一番高い山頂の本城部分には、複数の曲輪を並べ、これを囲んで中腹に6つの曲輪を配置し、さらに枢要な尾根には、砦を築いています。また、山中のいたる所に曲輪跡・土塁・堀切り・切り岸などの防御施設が埋もれていて、約120ヘクタールにも及ぶ広大な猪ノ口山系全体が城域であり国の史跡となっています。天正7年(1579)8月、さしも堅固を誇った黒井城も、丹波平定を急ぐ明智光秀の大軍の前に落城をとげました。その後、一部本城部分に改修が加えられましたが、400余年の風雪に耐え、今でも戦国時代から織豊時代へかけての城の様子をそのまま残している城跡として高い評価を受け、平成元年国の史跡に指定されました。
※お城のパンフレットより引用
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