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  続日本100名城・・・・・No.163 黒井城
 黒井の町並みのすぐ北側にそびえる黒井城趾は、猪ノ口山(標高356メートル)にある山城で、南北朝時代建武2年(1335)春日荘を領した赤松筑前守貞範が山頂に砦を築いたことからその歴史が始まりますその後、約200年数代にわたって城主の変遷がありましたが、戦国動乱のさ中の天文23年(1554)荻野(赤井)悪右衛門直正が城主となりその勢力の拡大とともに大改修の手を加えたのが現在の黒井城です。一番高い山頂の本城部分には、複数の曲輪を並べ、これを囲んで中腹に6つの曲輪を配置し、さらに枢要な尾根には、砦を築いています。また、山中のいたる所に曲輪跡・土塁・堀切り・切り岸などの防御施設が埋もれていて、約120ヘクタールにも及ぶ広大な猪ノ口山系全体が城域であり国の史跡となっています。天正7年(1579)8月、さしも堅固を誇った黒井城も、丹波平定を急ぐ明智光秀の大軍の前に落城をとげました。その後、一部本城部分に改修が加えられましたが、400余年の風雪に耐え、今でも戦国時代から織豊時代へかけての城の様子をそのまま残している城跡として高い評価を受け、平成元年国の史跡に指定されました。

※お城のパンフレットより引用

 
 概要  山城
 別名  保月城
 築年/廃年  建武年間(1334~1338)/慶長5年(1600)以降
 築城主  赤松貞範?
 歴代城主  赤松氏~荻野氏→赤井(荻野)直正→直義→斉藤利三→堀尾吉晴→川勝氏
 所在地  兵庫県丹波市春日町黒井
 最寄り駅  JR福知山線黒井駅 登城口まで徒歩10分
 最寄りIC  舞鶴若狭自動車道春日IC 国道175線経由
 駐車場  有(無料) ただし、登城口には5、6台ほどしかスペースなし
 休館日  12月29日~1月3日(春日住民センターの休館日 城跡は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  春日住民センター
 黒井城のHP  丹波市HP
 兵庫県立歴史博物館


  周辺の地図



  黒井城の見どころその他情報
  黒井小学校を通り抜け登城口前の小さな駐車場に車を止め左側の登城口より登城。
山城特有の道を通り、獣を通さないための柵を通り登っていくと階段の右側が崖のようなところに出くわしました。これは立って登るのは怖くなり少しの距離ですが四つん這いになって登ることに。今までの山城でこんなところはなかったような気がします。(これから出くわすかもですが)あと、春日歴史民俗資料館に行かれる方は平日が休館なので、事前に丹波市の教育委員会文化財課に連絡してください。訪問する時間を連絡しておけば開けておいてもらえます。(丹波市のHPに開館日カレンダーが掲示されていますので確認してください。)

 見どころ

 ◆石垣
 ◆本丸跡
 ◆石踏の段
 ◆高石垣と水堀(興禅寺)
等が見所となります。

 観光スポット

丹波市立春日歴史民俗資料館 春日歴史民俗資料館では、野々間遺跡から出土した2個の銅鐸を中心として、春日地域の歴史とその文化遺産を収集保存し、広く一般に紹介することを目的としてつくられました。2万数千年の昔から人々の生活が営まれていた春日町の歴史を4つのテーマ(1.大むかしの春日 2.けむり立つ春部の里 3.中世の春日 4.近世・近代の春日)に分けて展示解説しています。
※丹波市HPより引用
興禅寺 黒井城の下館跡。戦国の城主は、合戦のとき山城にたてこもり、平時はふもとの下館で政務を行いました。水をたたえた七間濠、高石垣と白いぬり塀をめぐらせた興禅寺は、当時の館の風情をよく今に残しています。天正7年、明智光秀の重臣斉藤利三が城主となり、娘のお福(春日局)がここで生まれ3歳まで育ちました。
※丹波市観光協会HPより引用 
お福(春日局)の像 JR黒井駅前に徳川3代将軍家光の乳母となった斎藤利三の娘であるおお福の像があります。

 イベント

 毎年11月に黒井城まつりが開催され、春日戦国太鼓、黒井おどり、武者行列などが行われます。

 駐車場

登城口には数台しか駐車できないので
丹波市立春日文化ホールや春日住民センター駐車場にに駐車して徒歩にて登城口まで。

 書籍

 春日歴史民俗資料館で書籍を販売しています。 書籍案内
  

  <書籍の内容について>
 序説
 史跡黒井城跡の概要
 史跡黒井城跡の遺構
 史跡黒井城跡の現状
 史跡黒井城跡の保存と管理
 あとがき
 資料編
 付図

     






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