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大垣城
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  続日本100名城・・・・・No.144 大垣城
 大垣城は、天文4年(1535)宮川安定が築城した(明応9年(1500)竹腰尚綱の築城とも伝えられる)といい、水門川の流れを外堀に利用して造られた規模の小さな城であった。その後城郭の増築が行われ、天守は慶長元年、伊藤祐盛によって造営され、元和6年に松平忠良により改築されたという。この天守は四層四階建て総塗りごめ様式で、たいへん優美な城として名高く、歴史の上からも重要な役割を果たした。昭和11年には、国宝に指定され、郷土博物館として親しまれたが、昭和20年7月29日戦災で惜しくも焼失した。その後、大垣城再建の機運が高まり、昭和34年、現在の天守が完成した。さらに、平成23年には、天守と乾隅櫓を戦災前の外観に近づける改修を行った。

※お城のパンフレットより引用

 
 概要  平山城
 別名  麋城、巨鹿城
 築年/廃年  明応9年(1500)?/明治以降
 築城主  竹腰尚綱
 歴代城主  竹腰氏→氏家卜全~池田恒興→輝政~羽柴秀勝→伊藤祐盛~石川氏~岡部氏~戸田氏
 所在地  岐阜県大垣市郭町2-52
 最寄り駅  JR大垣駅 南口徒歩7分
 最寄りIC  名神高速道路大垣IC 国道256号線経由
 駐車場  有(有料) 市営丸の内駐車場など(専用駐車場はありません)
 駐車場はこちらをご覧ください
 休館日  年末年始(12月29日から1月3日)(郷土館の休館日 お城は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  大垣城天守(郷土館)受付
 ウェブサイト  水都旅


  周辺の地図



  大垣城の見どころその他情報
 大垣城は慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で西軍の本拠となる重要な役割を果たしています。石田三成の猛将島左近が杭瀬川の戦いで勝って西軍の士気が上がったものの、徳川家康の作戦が勝りその後の結果は皆さんご存じの通りです。三成にもう少し人望があれば歴史も変わっていたかもしれません。
あと、大手門跡を見に行ったのですが、行って「なるほど~」っていう感じでした。門跡にある飲食店の名前がなんと「大手門」なんです。わかりやすい名前を付けたものです。

 見どころ

 ◆天守
 ◆戌亥隅櫓
 ◆艮隅櫓
 ◆戸田氏鉄公騎馬像
等が見所となります。

 観光スポット

郷土館 戸田公入城350年を記念して建設された武家屋敷風の建物で、歴代大垣藩主戸田公の顕彰を中心に、郷土大垣の先賢を偲ぶことができます。また、日本庭園には樹齢500年を超す見事なサツキの盆栽などがあります。
※大垣市役所HPより引用
名水大手いこ井の泉緑地 深さ150メートルの井戸から、年間を通して水温14℃の地下水が、こんこんと湧き出ている、自噴している井戸です 。
墨俣一夜城(歴史資料館) 木下籐吉郎が一夜にして築いたと伝えられ、太閤出世物語の出発点となった城。この城址に建つ純金の鯱を配した城郭天守閣型の歴史資料館では、墨俣築城への道を展開しており、若き秀吉に出会えます。また、展望室からは長良川や金華山をはじめ、伊吹山・養老山脈などが一望でき、四季の眺めは最高です。
関ヶ原合戦岡山本陣跡 関ケ原合戦の際、徳川家康が本陣を置き、西軍の石田三成が立て篭った大垣城と対陣し、同合戦の前哨戦が繰り広げられました。

 書籍

 郷土館で書籍を販売しています
    
 <書籍の内容について>
  大垣の地名の由来の解説から大垣城の始まりや石垣についての解説があります。そして、関ヶ原の合戦と大垣城の関係について大垣城の水攻めも含め解説されている。後半は大垣城の歴代城主についての解説があります。面白いのは、本文中の所々にコラムとして、「大垣城の妖怪」や「月見櫓下の鵜飼」などの話を織り交ぜてあります。

     






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