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  続日本100名城・・・・・No.111 向羽黒山城
 会津の葦名氏は相模(神奈川県)の三浦一族。1192年に鎌倉幕府を樹立した源頼朝の御家人として、多大な軍功により、会津の穀倉地帯である北部を中心に領地を得たといいます。葦名氏の全盛期を築いたたのが16代盛氏で、最大の勢力を誇ったのは戦国の世もたけなわのころ。領内の豪族をまとめあげ一枚岩とした盛氏は、度重なる戦いで新潟県東部から会津地方全域、中通り地方のほとんどを従え、百万石の会津太守と謳われ葦名家中興の祖と呼ばれるようになりました。8年の歳月をかけて向羽黒山城を築いたのも盛氏です。しかし、盛氏の嫡男で17代の盛興は、世継を残さず天正2年(1574)29歳の若さで病没。そのため盛氏は、残された盛興婦人(伊達氏女)に、須賀川から人質の二階堂盛隆を婿にして葦名家を継がせましたが家臣に斬殺され、その子亀若(王)丸も幼年のまま病死してしまいます。全盛期を築いた盛氏でしたが、天正8年に60歳で没して以降、その後の養子問題でも家中が乱れ、運命の天正17年(1589)、磐梯山麓の摺上原の合戦で伊達政宗に大敗し、会津支配400年の歴史に終止符を打たれてしまいます。平成13年8月7日、国の史跡指定となった向羽黒山城の遺構の巨大さは東北随一。上杉謙信の居城であった春日山城をも凌ぐといわれており、全国でも有数の山城として熱い視線が注がれています。盛氏以降の時代にならないと出現しない遺構も多く存在することから、歴代の会津領主(伊達・蒲生・上杉氏)が改修を繰り返していたことがわかっています。

※会津美里町観光協会HPより引用

 
 概要  山城
 別名  向羽黒城、岩崎城、厳館
 築年/廃年  永禄11年(1568)/慶長5年(1600)以降?
 築城主  芦名盛氏
 歴代城主  芦名盛氏~蒲生氏→上杉氏
 所在地  福島県大沼郡会津美里町
 最寄り駅  JR只見線 会津本郷駅下車 徒歩約50分(一の曲輪)
 最寄りIC  磐越自動車道 会津若松IC 国道118号線→国道401号線→県道219号線経由
 駐車場  有(無料)城域内に数ヶ所 
 休館日  向羽黒ギャラリーは土日のみ営業(スタンプは玄関前に設置しているのでいつでも利用可能)
 スタンプ設置場所  向羽黒ギャラリー前
 ウェブサイト  会津美里町HP


  周辺の地図



  向羽黒山城の見どころその他情報
 本郷インフォメーションセンターに寄ってパンフレットをいただくことに。入ると係の方が対応してくださり、パンフレットを数枚いただきました。それに白鳳山遊歩マップでこのように散策をすればいいですよと教えていただきました。こちらから向羽黒山城に関する本はないのですか?と質問したのですが、ないとのことで残念でした。本郷インフォメーションセンターをあとにして、車に乗って向羽黒山城を目指します。山道を少し登ると向羽黒ギャラリーがあり一旦降りてスタンプをゲットです。そして教えていただいた二ノ曲輪跡付近の駐車場へ行き二ノ丸を散策です。みかえり坂から登っていきます。それほど時間もかからず到着しましたが、二ノ曲輪の説明版の横にふくしま緑の百景 白鳳山公園というモニュメントがありましたが、確かに緑豊かな公園です。二ノ丸からの展望という標識もあり確かに磐梯山が見えました。そして二ノ曲輪虎口を見てから車に戻ります。次は一ノ曲輪に行きますが一ノ曲輪付近の駐車場に車を停めて攻城です。道路から入るとすぐに竪堀が見えます。この竪堀の見事なこと。ちょうどお邪魔した時に堀周辺の草刈りをされていて堀をしっかり見ることができました。作業されいる方々が休憩に戻られてきたので3名の方々に「暑い中ご苦労様です」とお声がけしました。ほんとにいつも思うのですがこういう方々がいらっしゃるので我々は整備された遺構を見ることができます。感謝です。竪堀を堪能してからさらに登りますと、虎口が現れます。虎口からさらに進むと横堀や土橋らしきものも確認できます。そして一の曲輪に到着です。ここから教えていただいた古城の道に行きたかったのですが、わからずじまいで下におりて三の曲輪に行くことにしました。三の曲輪は傾斜があり平坦部は少ないように思えました。奥の方に行きますが県の天然記念物のモリアオガエルが生息する源平沼に到着です。そんなに大きくない沼でしたがここにいるんですね。さらに奥に行こうと思いましたが時間も時間なので引き返すことにしました。下準備でいろいろ調べてきたのですがこの向羽黒山城は思うように見学できず残念です。今度はしっかり下調べをして、1日この城のために時間を取って攻城したいものです。

 見どころ

 ◆竪堀
 ◆石垣
 ◆横堀
 ◆土塁
 ◆空堀
等が見所となります。

 観光スポット

 会津若松城 鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に再建、平成12年には天守に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が江戸時代の工法・技術を用いて復元されました。天守の内部は博物館となっており会津の歴史に触れることができます。平成23年には「赤瓦」へのふき替えが完了し幕末当時の姿を再現し、現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守となっています。
※会津若松観光ナビHPより引用
会津本郷焼閑山窯 会津本郷は陶器と磁器が共存する東北地方で最古の歴史を誇る窯場です。当館では400年の伝統を誇る会津本郷焼の13の窯元の作品を展示・販売しているので、それぞれの窯元の特色を見比べながら好みの焼物を探す事が出来ます。
※ふくラボHPより引用 
会津美里町本郷インフォメーションセンター 会津美里町本郷地域の中心にある観光案内所です。1階がインフォメーションとなっており、地酒&地ワインを販売しています。1杯量り売り(100円)もやっています。無料休憩スペースはどなたでも自由にご利用いただけます。
※福島県観光情報サイトふくしまの旅HPより引用 
白虎隊記念館 昭和31年に会津出身の弁護士、故・早川喜代次氏が私財を投じて作った資料館で、白虎隊をはじめとする会津藩の悲劇を後世に伝えています。戊辰戦争関係の史料(遺品、遺墨、写真)やジオラマなどを展示しています。周辺には白虎隊伝承史学館や白虎隊士自刃の地、白虎隊十九士の墓など関連する場所があります。展示品には、貴重なものも数多くあり、白虎隊で自刃した19名の中の一人である津川喜代美が越後(津川口)で戦っていた2人の兄にあてて書いた手紙や、生存した白虎隊士・ 酒井峰治の手記などもあります。
※福島県観光情報サイトふくしまの旅HPより引用
御薬園(会津松平氏庭園) 江戸時代の代表的な大名型山水庭園として国の名勝に指定されました。今から約600年前の室町時代、霊泉が湧出したこの地に、会津領主が別荘を建てたのが始まりといわれています。後に各種薬草を栽培する薬草園が設けられ、「御薬園」と呼ばれるようになりました。戊辰戦争時は、ここが新政府軍の療養所として使用されたため、戦火に巻き込まれずに往時の姿をとどめています。歴代藩主がこよなく愛した庭園で、歴史の香る癒しのひと時をお過ごし下さい。
※会津若松観光ナビHPより引用
会津さざえ堂  寛政8年(1796)に飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂で、正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。内部は2重らせんのスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、このお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。 上りと下りで同じところを通らずに見物できる世界的にも珍しい建物です。平成8年に国重要文化財に指定されました。
※福島県観光情報サイトふくしまの旅HPより引用 

     






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