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  日本100名城・・・・・No.87 名護屋城
 名護屋城は、豊臣秀吉が文禄・慶長の役の際に、国内拠点として築いた城です。わずか5カ月で築城され、当時の大坂城に次ぐ規模を誇った名護屋城。周辺には全国から参集した大名の陣屋が150以上も建てられ、人口20万人を超える城下町が出現しました。国内でこれほどの名だたる武将が一堂に会した城、陣跡はありません。関ヶ原の戦いの後、寺沢広高が唐津城を築城した際に、その一部の遺材を使用したと言われています。その後、石垣は江戸時代初期に人為的に破却。現在は、安土・桃山時代の貴重な技術を示す石垣がよく残っています。
※名護屋城パンフレットより引用

 
 概要  平山城
 別名  名護屋御旅館
 築年/廃年  天正19年(1591)/慶長3年(1598)
 築城主  豊臣秀吉
 歴代城主  豊臣秀吉
 所在地  佐賀県唐津市鎮西町名護屋
 最寄り駅  R筑肥線 西唐津駅下車 西唐津駅前バス停から呼子方面のバスに乗車し名護屋城博物館入口下車
 最寄りIC  西九州自動車道唐津IC 国道382号線→国道204号線経由
 駐車場  有(無料)名護屋城博物館駐車場
 休館日  月曜日(月曜が祝日の場合はその翌平日)、年末12月29日~31日、年始 1月 1日~ 3日(名護屋城博物館の休日 城跡は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  名護屋城博物館受付
 ウェブサイト  名護屋城


  周辺の地図



  名護屋城の見どころその他情報

唐津城から名護屋城に向かい、まず名護屋城博物館でスタンプをゲットし城内へ。当日、名護屋城博物館では「黄金の茶室」復元記念の特別展が開催されており名護屋城で秀吉が実際に披露した茶室の復元らしいです。大手口から入城し右手に櫓台を見ながら進むと東出丸に到着し、右手に曲輪が広がります。ここの芝生や雑草が刈られていましたし、実際に雑草を刈っておられる方も拝見ししっかり管理されているなと思いました。これからも管理の方よろしくお願いします。東出丸から左手に折れると門跡でしょうか石垣の間を左へ進むと三の丸です。看板があり水の手郭と水手口と書いてあったので先にそちらの方へ行きましたが途中でわからなくなり戻ってきて三の丸へ進むと井戸跡を発見です。三の丸の周りには石垣や櫓台跡もあり隣にある本丸をしっかり守っている感じです。井戸跡の向こうに馬場と書いてあったので、本丸の前にそちらに行くことに。細長い馬場でしかも馬場櫓台跡も残っています。少し進むと、広い曲輪と思われる所にでますが、前方が二の丸で左に弾正丸があります。弾正丸には搦手口がありしっかり喰違になっています。元に戻って二ノ丸には長屋建物の掘立柱建物跡があり3棟建っていたそうです。次に船手口に行こうともう一つの搦手口から下って右手に折れると、さっき見つからなかった水手曲輪、水手口を発見です。搦手口まで戻り次は遊撃丸へ。ここも石垣で囲われていて防御はしっかりしています。そして三の丸から本丸跡に進みますが、やっぱり本丸跡は広かったですね。本丸の真ん中に名護屋城址の石碑があり左回りで見学です。天守台跡からの眺めは最高で玄海の海が見渡せます。さらに進むと、本丸多聞櫓跡があり全長55mで幅が8mもあった大きな多門櫓だったようです。多門櫓の横には本丸南西隅櫓跡もあり10m方形の2階建ての櫓であったそうです。本丸大手門の方に戻る途中に本丸新石垣櫓台跡があり当時は玉石があったようですが今は玉石を保護するために埋められているようです。城内には所々に各武将の陣屋跡を示す写真のようなものがありました。一応名護屋城博物館で販売していた名護屋城と配陣図を買ってきました。時間の関係で今回は陣屋跡を訪問できませんでしたが、次回は見学できる陣屋跡を訪問したいと思います。


 見どころ

 ◆天守台
 ◆搦手口
 ◆大手口
 ◆二の丸
 ◆遊撃丸
 ◆弾正丸
 ◆東出丸
 ◆石垣
 等が見所となります。

 観光スポット

七ツ釜 七ツ釜は、国の天然記念物に指定され、玄武岩が玄界灘の波涛の侵食作用でできたものです。岩肌が柱のように規則正しく並んでいるものは柱状節理といい、溶岩が冷えて固まる際に収縮し発生します。最大の海食洞は間口3m、奥行きは110mあり、波の状況により舟で中に入ることができます。
※唐津観光協会HPより引用
呼子の朝市 イカの町呼子の朝は朝市のおばちゃんの元気な声で明けていきます。元旦を除き毎日市が開かれ、おばちゃんとの会話や触れ合いで、おまけがついたりして楽しいお買い物を提供します。日常のスーパーでのお買い物と違った触れ合いの異空間をお楽しみください。
※唐津観光協会HPより引用 
ジーラ(海中展望船) 北部九州では初めての半潜水型海中展望船「ジーラ」船内は左右に大きな窓を見開いた展望室になっており、窓越しに海底の様子や魚たちが泳ぐ様子を間近でみることができます。自由に泳ぐ魚たちの姿は迫力が満点っ!四季によって生息する魚たちの種類が変化して楽しいのもポイントです(^o^また、デッキでは呼子の海を眺めながら潮風を感じることができて、まるでクジラになった気分♪周航する鷹島近辺の海域は日本最初の海中公園地区として第一次指定を受けている最も美しい海域とされています。
※唐津観光協会HPより引用 
鏡山展望テラス 標高284mの鏡山は頂上が平らなため、どの角度からも台形に見える美しい山です。『肥前風土記』や『万葉集』にも登場する松浦佐用姫の悲恋物語の舞台としても有名で、山頂の展望台からは、唐津湾や虹の松原などの絶景が一望できます。桜やつつじの名所でもあり、春になると約4kmの登山道が桜のトンネルになります。
※唐津市HPより引用
諏訪神社 百済から鷹を献上するため渡来した誓来という鷹使いと、鷹を受け取り、鷹匠の技術を学ぶために大和朝廷より浜崎へ遣わされた諏訪姫は恋仲となりました。やがて誓来の帰国が決まり、そこで行われた鷹狩で鷹がマムシに絞め殺されてしまいます。それを嘆き責任を感じて自害してしまった諏訪姫を悼み祀ったのが、この諏訪神社になります。その謂れから、この神社の砂はマムシ除けのご利益があるとされています。また豊臣秀吉が文禄・慶長の役に向け戦勝祈願のため参拝した際に地元民が献上したという餅菓子の「けえらん」が、このあたりの土産物として有名です。
※いこーよHPより引用

 書籍

 <書籍の内容について>
  肥前名護屋城-幻の巨大都市-
   佐賀県立名護屋城博物館 開館25周年記念特別企画展を催した時に発行された書籍です。肥前名護屋の誕生、、実像、人々(大名から商人、茶人等)と終焉について等書かれています。そして、奈良大学教授の千田先生の特別寄稿として「巨大城郭都市・名護屋を読み解く」という題材で記載されています。
 <書籍の内容について>
  名護屋城と配陣図
   山文禄・慶長の役の際、160家に登る大名が名護屋城周辺に集結した時の陣の配置図を中心に書かれた書籍です。

 耳より情報

名護屋城、陣跡巡りを楽しみたい方は地元ガイドが案内するツアーもあります。
詳細は 肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会HPをご覧ください。
     






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