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  日本100名城・・・・・No.72 吉田郡山城
 戦国武将毛利元就の居城として知られる郡山城は、吉田盆地を見渡す可愛川と多治比川の合流点の北側に築かれ戦国期最大級(東西1.1km、南北0.9km)の山城です。築城の時期は不明ですが、城内にあった満願寺や祇園社(今の清神社)などは築城以前から建立されており、15世紀後半には毛利氏の城として存在していたようです。当初は「本城」とよばれた東南の尾根上が城の中心で、元就が台頭して16世紀中頃に郡山全山を城郭化したと言われています。その後、輝元時代に広島城へ本拠が移り、さらに関ヶ原合戦後の国替えにより廃城となりました。構造は山上部(城)と山麓部(里)で構成されいます。山上部は山頂(標高390m、比高190m)にある本丸を中心として放射状に270ヶ所以上の郭が築かれています。本丸、二の丸、三の丸などの中心部は「嶝(かさ)」と呼ばれ、元就や輝元が住んでいました。ここには石垣の跡や瓦の断片が確認されたことなどから、輝元時代の16世紀終盤に大幅な改修が施されたようです。また、勢溜の壇、厩の壇、釜屋の壇、姫の丸など中心部を取り囲む各尾根上には、家臣居住区と思われる郭群が形成されています。一方、本城は戦国初期の形態を残していると言われ、石垣や瓦は見つかっていません。さらに山麓部には城内外を区画する内堀が巡っていたことが判明しています。

※お城のパンフレットより引用

 
 概要  山城
 別名  ―
 築年/廃年  建武3年(1336)/元和元年(1615)以降
 築城主  毛利時親
 歴代城主  毛利時親~弘元→元就→隆元→輝元
 所在地  広島県安芸高田市吉田町吉田
 最寄り駅  JR芸備線 向原駅からタクシーで約20分
 最寄りIC  中国自動車道高田IC 県道64号線→県道6号線経由
 駐車場  大通院谷公園内に2ヶ所有(無料)
 休館日  毎週月曜日(月曜が祝日の場合、翌日)
 祝休日の翌日
 12月29日〜1月3日(安芸高田市歴史民俗博物館の休館日 城跡は随時見学可能)
 ※土日祝日は原則開館
 スタンプ設置場所  安芸高田市歴史民俗博物館
 ウェブサイト  安芸高田市HP


  周辺の地図

    

  吉田郡山城の見どころその他情報
 安芸高田市歴史民俗博物館でスタンプをゲットし書籍を購入して館の方に駐車場のことを確認してから向かった。上の駐車場に止めて右の方の看板を見ると大通院谷の薬研堀と書かれていたので右を見るとV字の堀である薬研堀がありました。実は薬研堀を見るのが初めてだったので感動しました。登城口から元就墓所、御蔵屋敷跡、釣井の壇、姫の丸、本丸、二の丸、三の丸、満願寺跡を経て尾崎丸に。途中には土塁、石垣、堀切等残っており目を楽しませてくれました。
そしてそして、
せっかく来たのだから尾崎丸から本城を目指すことにし、下っていきましたが、途中でこれだけ下るということは帰りは同じだけ上らないといけないと誰も思ってるんじゃないかなと思いながらさらに下る。やがて本城と書かれた看板が目に入ってきました。しかし、矢印は上の方を指しているが目の前の崖はかなり急で手すりや綱のようなものはありません。ちょっと考えて右の細い人が通れる木の間を行くが上に行けそうな雰囲気がないので戻ってくると一人の男性が来たのでどうやって上に行きましょうと話しをしているとさっきの右の方へ行かれたが戻ってきて急な崖を登っていかれました。ので、その人に続けとばかりに、岩をもちながら這いつくばって上ると次は土の崖で木の根っこがあちこちに露出していたのでそれをつかんでさらに登るとやっと本丸跡に到着。落ちないように必死で根っこをつかんでの登城でした。(汗たらたらでした)見終わってさぁ下へと思いきや、あの崖を戻るのは怖いので他に道はないかと奥の方から下の方への道を探すと、なんとか登った崖の所に戻ってきました。写真を撮れる状況じゃなかったので皆さんへの説明はできないのですが崖の右の方から登れますのでそちらをご利用ください。危ない思いをせずに登れますので。安芸高田市にお願い。危険な目をせず本城に行けるように整備をしていただけたらと思います。

城内にある
 ◆本丸
 ◆二の丸
 ◆三の丸
 ◆御蔵屋敷
 ◆釣井の壇
 ◆姫の丸壇
 ◆満願寺跡
 ◆勢溜の壇
 ◆尾崎丸、堀切
 ◆本城、堀切
等が見所となります。

【観光スポット】
 ・安芸高田市歴史民俗博物館
 ・かむくら座
 ・大狩山砂防ダム公園

 安芸高田市歴史民俗博物館で書籍を販売しています
 http://www.akitakata.jp/ja/hakubutsukan/publication/books/

 <書籍の内容について>
  関東から吉田荘へ
    ・・・毛利氏とは
  元就の遺訓が息づく町
    ・・・安芸国吉田荘
  乱世を駆け抜けた智将
    ・・・毛利元就
  苦難の日々を乗り越えて
  命運を賭けた元就の初陣
  
  27歳で毛利家の当主に
  三万の尼子軍を激闘の末破る
  二人の息子が陰陽を固める
  中国地方制覇へ覚悟の決戦
  戦国大名への道
  戦国の覇者、ここに眠る
 <書籍の内容について>
  毛利家のルーツ
  隆元の生きた時代
  隆元の生涯
  一、元就の長男として生まれる
  二、大内氏の人質となって
     山口で暮らす
  三、隆元帰国・・・、そして初陣
  四、家督を相続し毛利氏を統率

  五、大内義隆が滅びた後、
    陶氏と交戦
 六、隆元、謎に包まれた最期
 隆元の死をめぐって
 死因には食中毒と毒殺の二つの説が
 和智兄弟誅殺の背景
 隆元の人物像
 毛利隆元関係年表

     






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