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  日本100名城・・・・・No.51 安土城
 標高199mの安土山一帯にある織田信長(1534-82)の居城跡。国指定の特別史跡です。天正4年(1576年)から織田信長が約3年の歳月をかけて完成しました。
安土・桃山時代の幕開けとして築城されましたが、織田信長が倒れた本能寺の変後、焼失して石垣だけが残っています。安土山の南側には、堀が巡っていて往時の名残りを留めています。
天主跡と本丸跡には礎石が、また二の丸跡には、豊臣秀吉が建立した織田信長廟が残っています。天主閣跡から東へ少し下った黒金門跡(くろがねもんあと)付近には、壮大な石垣もあります。また、山の中腹には家臣団屋敷跡があり、山の尾根づたいに北へ行くと八角平や薬師平があります。
城山の中心部への通路は、南正面から入る大手道のほかに、東門道、百々橋口道、搦手道などがあります。
 城の外面は各層が朱色・青色・あるいは白色、そして最上層は金色だったといいます。内部は、狩野永徳が描いた墨絵で飾られた部屋や、金碧極彩色で仕上げた部屋などがあり、当時の日本最高の技術と芸術の粋を集大成して造られたといわれています。
わが国最初の本格的な天主の建築は、この安土城が始まりとされ、歴史上に名を残す名城跡です。

※公益社団法人びわこビジターズビューローHPより引用

 
 概要  山城
 別名  -
 築年/廃年  天正4年(1576)/天正13年(1585)
 築城主  織田信長
 歴代城主  織田信長→明智氏→織田氏
 所在地  滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
 最寄り駅  JR東海道線安土駅 徒歩 25分
 最寄りIC  名神高速八日市IC
 駐車場  有(有料)安土城前
 休館日  月曜日(祝日を除く。祝日の場合は翌日が休館)、年末年始(12月28日~1月4日) (安土城天主信長の館の休館日)
祝日をのぞく月曜、祝日の翌日、年末年始(安土城郭資料館の休館日)城跡は随時見学可能
 スタンプ設置場所  安土城天主信長の館・安土城郭資料館/安土城跡信長廟前
 ウェブサイト  滋賀・びわ湖観光情報 安土城跡


  周辺の地図



  安土城の見どころその他情報
 安土城は織田信長の城としてあまりにも有名ですが
築城開始から3年後に移り住んで、さらに3年後に本能寺の変で殺されることになっています。
明智光秀が秀吉に敗れてすぐに天守・本丸が焼失したそうなので何かもったいないような気がします。
宣教師さえも驚く城でしたから。
また、桜の名所として知られる安土城跡の江藤の丘は、織田信長の居城安土城跡の麓にあり
ソメイヨシノが見事に咲きそろいます。見頃は多くの花見客で賑わいます。

 見どころ

 ◆大手道
 ◆二王門
 ◆天守跡
 ◆黒金門跡
等が見所となります。

 観光スポット

安土城考古博物館 当館は、特別史跡安土城跡・史跡大中の湖南遺跡・史跡瓢箪山古墳・史跡観音寺城跡からなる歴史公園「近江風土記の丘」の中核施設として平成4年に開館しました。第1常設展示室では「考古」をテーマに弥生時代、古墳時代の近江にタイムスリップします。第2常設展示室では、「中世・戦国時代」をテーマに、安土城をはじめとする城郭の変遷や織田信長の人物像にせまります。
※公益社団法人びわこビジターズビューローHPより引用
安土城天主信長の館 信長の館には1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(5・6階)が展示されています。内部には当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根など絢燗豪華な安土城がここに復元されています。
※滋賀県HPより引用 
安土城郭資料館 世の安土に関する資料を中心に集めた資料館。特に20分の1のスケールで再現された幻の安土城は見応えがあります。
※滋賀県HPより引用 
観音寺城 近江守護、佐々木氏の居城が築かれていた山で、全山を城域とし、山城としては日本でも有数の規模を誇ります。遅くとも15世紀後半には城としての形態を整えていたと考えられ、佐々木氏が六角氏と京極氏に分かれたあとは本家の六角氏の居城となりました。山頂付近を中心に、石垣や礎石、側溝、家臣の屋敷跡である広場が残され、深い山中に築かれた壮大な山城の規模に改めて驚かされます。
※滋賀県HPより引用
観音正寺 開基については人魚の伝説があり、聖徳太子が人魚の哀願によって寺を開いたと伝えられています。西国三十三所観音霊場の第32番札所として、盛時には33もの子院を擁し絶大な勢力を誇りました。
※公益社団法人びわこビジターズビューローHPより引用
桑実寺 繖山(きぬがさやま(432.7m))の西麓にあり、西国薬師霊場の第四十六番の札所である天台宗寺院です。繖山の古代巨岩信仰と薬師如来の信仰とが結びついて、衆生の病苦を治す霊場と考えられていました。奈良時代に天智天皇の勅願によって創建されたといわれています。初代住職が中国留学の際、桑の実を持ち帰ったことから、この寺名が起こったと伝えられています。
※公益社団法人びわこビジターズビューローHPより引用

 耳より情報

 安土城の発掘調査が過去に行われており、様々なことがわかってきていますが
前田利家邸の一部が私有地になっており発掘調査が進んでいないそうです。
調査が進むように所有者の方の協力をお願いしたいですね。

 書籍

安土城考古博物館で書籍を販売しています  書籍案内
 <書籍の内容について>
 安土城-築城から現在まで
 大手道
 屋敷の構造と暮らし
 信長の空間
 
  
搦手道
摠見寺と百々橋口道
未完の都市・安土
今後の調査整備に向かって
   <書籍の内容について>
 安土城の歴史
 出土遺物
 特別史跡安土城跡の環境整備
 安土城の構造
 

安土城跡の主要部分-調査結果から
安土城跡主要部平面図
   <書籍の内容について>
 六角氏の城
 京極氏の城
 高島七頭の城
 甲賀の城
 在地の城

境目の城
寺社の城
織田・豊臣の城
徳川の城


     






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