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  日本100名城・・・・・No.42 掛川城
 現在の掛川城より東に500mほどのところにあった掛川古城は、戦国時代の明応6年(1497)~文亀元年(1501)駿河の守護大名今川義忠が遠江支配の拠点として重臣朝比奈康凞に築かせたといわれていいます。桶狭間の戦(1560)で今川義元が織田信長によって倒されると、文禄12年(1569)掛川城は徳川家康に攻められ開城してしまいました。家康領有後、重臣石川家成が甲斐の武田氏侵攻を防ぎました。天正18年(1590)全国平定を達成した豊臣秀吉は、徳川家康を関東に移し、家康旧領地には秀吉配下の大名を配置し、掛川城には山内一豊が入りました。一豊は多くの戦乱により傷んだ城の改築や城下の整備を行うとともにこの時初めて天守閣をつくりました。江戸時代には、徳川親藩の松平氏や江戸城を築いた太田道灌の子孫太田市など11名の大名家の居城として栄え、明治維新まで続きました。

※入場券の案内より引用

 
 概要  平山城
 別名  ―
 築年/廃年  文明元年(1469)頃/明治以降
 築城主  朝比奈泰煕
 歴代城主  朝比奈氏→石川家成→山内一豊→松平定勝~太田氏
 所在地  静岡県掛川市城下8-2
 最寄り駅  JR掛川駅 徒歩7分
 最寄りIC  東名高速道路掛川I.C. 県道38号線経由
 駐車場  有(有料)大手門駐車場・近隣駐車場
 休館日  年中無休
 スタンプ設置場所  掛川城御殿
 ウェブサイト  掛川城


  周辺の地図



  掛川城の見どころその他情報
 大手門駐車場に車を停め、復元された大手門に向いますが大手門の裏には礎石根固め石というのが展示されています。大手門の横には番所がありこれは安政6年に復元されたのもで掛川市の文化財に指定されています。大手橋を渡って左に曲がって進むと、天守が見えてきます。この天守も木造で復元されたものです。四足門の右手に三日月堀があり深さが8mもあったそうです。門の左側には太鼓櫓があり嘉永7年の地震の後に建てられたそうです。そして天守の方に向ますが、途中に腰櫓跡、天守下門跡、霧吹き井戸等がありますが、この霧吹き井戸は家康が今川氏真が籠もる掛川城を攻めた時に、井戸から立ちこめた霧が城をつつみ家康の攻撃から城を守ったという伝説があります。天守には色々展示してあり(撮影OKです)最上階からは掛川の町を眺めることができます。二の丸にある御殿は、現存する城郭内の御殿としては、二条城など全国に数カ所しかない貴重なものです。掛川城の北東に掛川古城がありここの大堀切りは見物ですよ。

 見どころ

 ◆天守
 ◆太鼓櫓
 ◆四足門
 ◆霧吹井戸
 ◆掛川城御殿
 ◆大手門
等が見所となります。

 観光スポット

掛川市ステンドグラス美術館 掛川市ステンドグラス美術館は、国内初の公立ステンドグラス美術館です。コレクションは、19世紀イギリスのヴィクトリア朝時代の作品約70点と、フランスのバラ窓10点で構成されています。
※静岡県HPより引用
資生堂アートハウス 1978年に開設された資生堂アートハウスは、近現代のすぐれた美術品を収集・保存すると共に、美術品展覧会を通じて一般公開する文化施設として活動しています。
※掛川観光情報HPより引用 
事任(ことのまま)八幡宮 古くから、「願い事のままに叶う」というありがたい神社として、平安時代の清少納言の「枕草子」や鎌倉時代中期の歌人阿仏尼の「十六夜日記」等、多くの紀行文に登場する神社です。
※掛川市HPより引用 
高天神城 高天神城は室町時代、駿河の今川氏が遠江侵攻の拠点として築いたとされ、戦国時代には駿河・遠江をめぐる武田氏、徳川氏の激しい攻防の舞台となりました。
※掛川市HPより引用

 書籍

掛川城御殿で書籍を販売しています

   <書籍の内容について>
  掛川城の歴史と文化財
信長、秀吉、家康と三人の天下人に仕えた山内一豊の解説から妻千代のエピソードなど解説があります。もちろん掛川城の解説もあり、特に我が国で初めて木造本格復元天守となった時の解説もあります。また、復元天守を設計された宮下博士の執筆もありなかなか面白い趣向になっています。
 <書籍の内容について>
  掛川城のすべて
   掛川城をめぐる歴史
   山内一豊と乱世の掛川
   歴代城主とその事績
   掛川城をめぐる物語
   現存する掛川城の遺構について
   天守閣の意義と掛川城天守の復元
   中世城郭から近世城郭へ


     






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