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  続日本100名城・・・・・No.192 角牟礼城
 角埋(つのむれ)山頂に築かれた山城で、玖珠と豊前を結ぶ交通の要衝に位置していたため、大友氏から豊後の境目の城として重要視されていました。
天正十五年の豊薩戦では落城しなかった要害堅固な城です。文禄三年からは毛利高政(もうりたかまさ)が玖珠の拠点として城を改修したと考えられ、二の丸・三の丸地区を中心に高石垣と枡形虎口(こぐち)等をつくり、近世城郭へと変貌させました。これにより、角牟礼城跡は中世山城から近世城郭が成立していく過程を一目で見られる貴重な城跡となりました。
毛利氏転封後は、久留島氏が入部しましたが、二代通春(みちはる)の時に角牟礼城を廃城とし、以後は御止(おと)め山(やま)として管理しました。

※お城のパンフレットより引用

 
 概要  山城
 別名  角埋城
 築年/廃年  弘安年間(1278~1288)/慶長6年(1601)
 築城主  森朝通
 歴代城主  森氏→毛利氏(藤原氏)
 所在地  大分県玖珠郡玖珠町森
 最寄り駅  JR久大本線豊後森駅
 最寄りIC  大分自動車道玖珠IC 国道387号線経由
 駐車場  有(無料) 三の丸跡
 休館日  月曜日(国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する  休日に当たるときは、その翌日以後の最初の休日でない日)
 12月28日~翌年1月4日(豊後森藩資料館の休館日 お城は随時見 学可能)
 スタンプ設置場所  豊後森藩資料館
 豊後森藩資料館が休館日の時は玖珠町観光協会
ウェブサイト  玖珠町観光協会HP


  周辺の地図



  角牟礼城の見どころその他情報
  2016年に発生した熊本地震の影響で三の丸までの駐車場まで行けないのではないかと思い事前に玖珠町に確認しましたが、行くことができるとのことでした。(玖珠町の方ありがとうございました)実際に登城してみますと、やはり地震の影響があり、石垣が一部崩れまだ完全に修理できていない状況でした。番号のついた石が積まれており、また、復旧できていない石がころがっていました。一通り見学して駐車場まで戻ってみますと、青森からお城巡りをしている男性に出会い少々立ち話をしました。もう一ヶ月ほど車に寝泊まりしながらあちこち巡っているそうで時間があるからできるのでしょうが、自分にはできないなぁと思いながら聞いていました。

 見どころ

 ◆石垣
 ◆竪堀
 ◆本丸跡
 ◆虎口
等が見所となります。

 観光スポット

慈恩の滝 玖珠町の西に位置する「慈恩の滝」は、日田市天瀬町と玖珠郡玖珠町の境に位置し、上段20m、下段10mと、合わせて約30mの落差がある二段滝です。また、滝の裏側へ向かうことができるため別名“裏見の滝”とも呼ばれ、夜にライトアップされる滝は、昼とは違う一面を見せます。
※(公社)ツーリズムおおいたHPより引用
豊後森機関車庫 旧国鉄久大線を走るSLの格納庫として建てられ、現存する扇型機関庫としては九州唯一の近代化産業遺産です。SLが間近で見られるほか、すぐ近くには水戸岡鋭治氏デザインのミュージアムもあります。
※(公社)ツーリズムおおいたHPより引用 
久留島武彦記念館 「日本のアンデルセン」と呼ばれた久留島武彦は、明治・大正・昭和の三代にわたって、人が人として共に生きていく上で、必要な教えを楽しいお話にのせて子どもたちに語り聞かせた教育者です。久留島武彦記念館は彼のことを紹介するため10の部屋を用意しそれぞれの部屋で彼のことを紹介しています。
※久留島武彦記念館HPより引用 

 書籍

 古本を購入しました
<書籍の内容について>
 よみがえる角牟礼城
   戦乱の世から平和の時代へ
   角牟礼城の調査
   境目の城としての倭城
   豊後・大友仕置と角牟礼城跡
   文献からみた角牟礼城と毛利高政
石を「積む」角牟礼城
角牟礼城の城郭建築について
近世城成立過程の諸問題と角牟礼城
肥前名護屋城跡の整備
島根県益田市七尾城とまちづくり
鹿児島県知覧城とまちづくり
シンポジウム

     






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