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  続日本100名城・・・・・No.174 高嶺城
 高嶺城は、大内氏最後の当主、大内義長が築いた城です。毛利軍の侵攻に備え弘治2年(1556)春から築城を始めましたが、築城はあまり進まず籠城に必要な食料にも欠いたため、翌年2月、義長は内藤隆世とともに長門国に逃れました。そして最後は長福寺(現在の功山寺(下関市))で自刃しました。その後、弘治3年(1557)秋には毛利氏の支城として築城が始まり、冬には完成しました。城番は、市川経好し、柳沢元政、佐世元嘉らが担いました。また、永禄12年(1569)の大内輝弘の乱では、輝弘が大友方の兵を率いて山口に侵攻しましたが、市川経好の妻らが高嶺城でそれを防いだと言われています。高嶺城は最終的に、元和元年(1615)の一国一城令により破却され、城としての役割を終えました。

※お城のパンフレットより引用

 
 概要  山城
 別名  鴻の峰城、高峯城
 築年/廃年  弘治2年(1556)/元和元年(1615)以降
 築城主  大内義長
 歴代城主  大内義長→市川経好→柳沢元政→佐世元嘉
 所在地  山口県山口市上宇野令
 最寄り駅  JR山口線 山口駅 徒歩約90分
 「県庁前」バス停から徒歩約70分
 最寄りIC  中国自動車道山口IC 国道262号線→国道9号線経由
 駐車場  有(無料)  おとどいやま森林公園駐車場
9号線から駐車場までの道がわかりにくいです。国道9号線を西から東に走行し歩道に立っている木戸公園100mの看板が見えたら速度を落とし北沢産業さんを越えたらすぐに左折する(前方左手に逆方向を向いた木戸公園の看板が見える) そして糸米川砂防園近くの駐車場を目指す
 休館日  月曜(祝日の場合は翌平日振替) 年末年始 展示替え期間(山口市歴史民俗資料館受付の休館日)
火曜日、お盆、年末年始(大路ロビーの休館日)
(お城は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  山口市歴史民俗資料館受付
 大路ロビー
 ウェブサイト  大内文化まちづくりHP


  周辺の地図



  高嶺城の見どころ・その他情報
 高嶺城へは糸米川砂防園近くの駐車場から車で登れますが、道路が狭いので運転に自信のない方はやめた方がいいかと思います。対向が難しいのでもし登られるなら軽自動車をおすすめします。上まで行くと放送局の中継所がありそこに数台駐めることができるスペースがあります。で自分はと言いますと、糸米川砂防園近くの駐車場から徒歩にて登ることにしました。放送局の中継所から高嶺城主郭まで500mと表示された看板があったのでそれほどでもないなと思っていましたがやはり山城です、少し登らせてもらいました。ひらけたところに出ると広い郭があり、さらに進むと主郭南側の石垣が現れました。この石垣は吉川氏などがが抱えていた「石つき之もの共」という石工集団が造ったもので、積石のなかに大きな竪石、横石を規則的に配置することが特徴だったそうです。そして主郭に到着しましたが、眺めはよかったのものの天候がよくなく残念でした。スカッと晴れた日にまた来たいものです。次に主郭の北側に行くと立派な石垣がありこれは南側の石垣より後に造られたものと考えられているそうです。(慶長3~5年ごろ)ちなみに南側の石垣は天正19年頃に造られたと考えられているそうです。

 見どころ

 ◆主郭南側の石垣
 ◆主郭北側の石垣
 ◆郭
等が見どころとなります。

 観光スポット

瑠璃光寺 奈良の法隆寺、京都の醍醐寺の五重塔とともに日本三名塔のひとつ。檜皮葺き総檜造りの優美な姿は、室町時代中期における最も秀でた建造物と評され、国宝に指定されている。
※マイフェバHPより引用
山口サビエル記念聖堂 わが国に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・サビエル来山400年を記念して建てられましたが、平成3年9月に焼失してしまいました。その後、平成10年4月に白亜に輝く新しい記念聖堂が再建され、懐かしい鐘の音が響いています。
※湯田温泉HPより引用 
山口県立美術館 定期的な特別展や郷土作家の作品を中心に収蔵。雪舟と雲谷派や狩野芳崖、香月泰男、松田正平らの作品が年数回のコレクション展で鑑賞できる。
※マイフェバHPより引用 
維新百年記念公園 山口県の都市公園の中核となる公園で、スポーツ・文化・レジャーの拠点として広く県民に親しまれています。また平成23年10月に開催されました、「第66回国民体育大会 おいでませ!山口国体」、「第11回全国障害者スポーツ大会 おいでませ!山口大会」のメーン会場としても利用された公園です。
※山口県HPより引用
大内氏館 館跡には現在龍福寺がありますが、室町時代には周防の守護職大内氏の居館があったところです。正平15年(1360)頃大内弘世が大内御堀からこの地に館を移し、京の街を模して、街造りをしたといわれています。館は現在の龍福寺境内とほぼ一致する100間四方の敷地を堀と土塁で囲んでいたといわれています。大内氏歴代の当主はここで政務をとり、約200年間西日本の政治、経済の中心地になりました。
※じゃらんHPより引用
湯田温泉 山陽路唯一の温泉郷として栄え、今もなお華やかな雰囲気に包まれている。その昔、一匹の白狐が夜な夜な湯に浸かって傷を治したという「白狐伝説」が言い伝えられ、マスコットにもなっている。市内には中原中也記念館があり、直筆の原稿や愛用品などが陳列されている。透明の弱アルカリ性単純温泉。
※じゃらんHPより引用

 書籍

 山口市歴史民俗資料館で書籍を販売しています。 書籍案内
 <書籍の内容について>
 Ⅰ 位置と環境
 Ⅱ 遺跡の現状
  1 高嶺城の歴史
  2 文献・絵画資料
  3 調査歴
  4 史跡指定地内の遺構の状況
 Ⅲ 調査に至る経緯
  Ⅳ 調査の方法
 Ⅴ 調査成果
  1 高嶺城跡
  2 兄弟山城跡
  3 障子ヶ岳城跡
 Ⅵ まとめ
 付篇  高嶺城の構造
 挿図 測量図、調査成果図など14図

     







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