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  続日本100名城・・・・・No.171 備中高松城
 岡山市高松にある。足守川が形成した平野部にある平城で、羽柴秀吉によって水攻めを受けたことで有名である。この城は、天正年間(1573-92)以前に、三村氏の部将であった石川氏によって築造され、後に石川氏の娘婿である清水宗治が 城主となった。天正十年(1582)に、宗治が籠もる高松城をはさむ形で、毛利氏と織田氏(羽柴秀吉)が直接衝突した。その際に高松城の周囲には堤が築かれ、足守川や長野川から水を引き入れて水攻めを受けた。毛利輝元と羽柴秀吉の講和交渉中に、織田信長が明智光秀によって殺されたが、宗治の自刃と、領地の割譲を条件に講和が成立した。高松城は、その後宇喜多氏の部将花房正成が居城とし、慶長五年(1600)の関ヶ原合戦後は、花房職之が徳川氏の旗本となって転封し、陣屋として用いた。城郭は、本丸から南へ二の丸、三の丸が続き、北から東へ家中屋敷が取り囲むと推測されている。ただし、現況の城郭の大半は、清水氏の高松城以降に改修を受けた後の姿である。発掘調査が部分的に実施されており、城郭基底部の捨石や堀切を検出している。また、当城出土の瓦に関する考察もある。

※岡山市HPより引用

 
 概要  平城
 別名  沼城
 築年/廃年  天正年間(1573~1592)/元和元年(1615)以降
 築城主  石川久孝
 歴代城主  石川久孝→清水宗治→花房正成~職秀
 所在地  岡山県岡山市北区高松
 最寄り駅  JR桃太郎線 備中高松駅 徒歩10分
 最寄りIC  山陽自動車道岡山総社IC 国道180号線経由
 駐車場  あり(無料) 備中高松城址公園 駐車場
 休館日  月曜日、年末年始(12月28日~1月4日)(備中高松城址資料館の休館日 お城は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  備中高松城址資料館
 備中高松城址資料館が定休日の場合は、清鏡庵(せいきょうあん)にも設置しているので、そちらで押すことが可能です。
 ウェブサイト  OKAYAMA-KANKO.netHP


  周辺の地図



  備中高松城の見どころその他情報
  2024年4月20日に2014年3月28日以来の再訪問です。先に足守陣屋を見学しようと足守観光・・・の駐車場に車を止めましたが用意したいつものファイルの備中高松城のページを見ると備中高松城址資料館の閉館時間が15時だと。現在14時過ぎでここから近いとは言えすぐに備中高松城址資料館に向かうことにしました。14時半にはついて備中高松城址資料館にてスタンプをゲットし館内を少し見学してからまず、蛙ヶ鼻の堤の遺構見学に向ました。その途中に小さく右の矢印に蛙ヶ鼻、大きな看板に太閤岩入口と書いていたのでそちらに行けば秀吉が陣をおいたとろのようです。備中高松城址資料館から歩いて10分弱で到着し遺構を見ましたが、俵に混入していた骨とかがあって驚きました。そして水攻めをした時の高さがわかるように高さ表示板が設置されており、本丸最上段高7.0mの上に現存築堤高標高8.4mとなっていました。本丸の高さより高く堤が築かれていたようですね。見学後備中高松城址資料館の方に戻り二ノ丸、本丸(清水宗治の首塚があります)そして清水宗治の胴塚まで行き、公園側の通路を通って備中高松城址資料館まで戻ってきました。蓮池があるので花が咲くころは綺麗な花が咲いているのでしょうね。最後に太閤岩方面(幟が見えたので)の写真を撮りましたがやはり望遠で撮らなかったため拡大しても文字はぼんやりして読めなかったです。黒田官兵衛の策とはいえ広大な堤を築いて水びたしにするなんてだいそれたことをするものです秀吉は。水攻めの最中に本能寺の変が起こり毛利と和睦交渉を急ぎすぐに畿内に戻って明智光秀と戦って勝つ。中国大がえし、賤ヶ岳の戦いの前もそうでしたが、戻るのが速いこと。これも驚きです。備中高松城を見学してから先ほどの足守陣屋に戻って見学しました。


 見どころ

城内にある 
 ◆堤防の跡(蛙ヶ鼻)
 ◆曲輪
 ◆清水宗治首塚
等が見所となります。

 観光スポット

後楽園 岡山藩2代目藩主・池田綱政(つなまさ)が自ら憩いの場として築いた大庭園。季節の花が彩る広々とした園内は江戸時代さながらの別世界。1952年には歴史的文化遺産として“特別名勝”に指定され、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでは三つ星の評価を得ています。四季を通じて茶つみや月見など様々な行事が催されているほか、期間限定で昼間とは趣をかえて園内をライトアップする夜間特別開園「幻想庭園」を楽しむことができます。ボランティアガイド(無料)も観光客に好評です。
※岡山観光WEBサイトより引用
岡山城 2022年11月3日に令和の大改修を終えリニューアルオープン。 岡山市出身の歴史学者・磯田道史氏による展示監修で、岡山の歴史をわかりやすく発信しています。豊臣秀吉の家臣で豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が築城した城。めずらしい不等辺五角形をした三層六階建ての天守は威厳のある佇まいで、黒い下見板張りの外観から、別名「烏城(うじょう)」と呼ばれています。最上階からは眼下に旭川を望み、岡山後楽園と市街地を360度見渡せます。築城当時の天守は1945(昭和20)年の空襲で焼失しましたが、現在は再建されています。春、夏、秋には岡山城天守とその周辺をライトアップした「烏城灯源郷」が開催され人気。
※岡山観光WEBサイトより引用 
備前長船刀剣博物館 鎌倉時代より日本刀の産地として栄えた長船町にある全国でも珍しい備前刀を中心に刀剣を展示している博物館。敷地内には鍛刀場があり、日本刀の古式鍛錬、刀装製作、刀身への彫刻、研ぎなどの、さまざまな日本刀に関する製作工程を実際に見学する事ができます。月に1度、1200度の高熱で玉鋼(たまはがね)を打ち延ばす「古式鍛錬」の見学も可能で、海外の日本刀ファンも押し寄せるほど人気になっています。職人が力強く鋼を打ち、火花が飛び散る様子は迫力満点!“相槌を打つ”という言葉の語源となった作業です。
※岡山観光WEBサイトより引用 
 吉備津神社  桃太郎(鬼退治)伝説の原型となったとされる吉備津彦命(きびつひこのみこと)と温羅(うら)にまつわる伝説が残っています。鬼退治の矢を置いたと伝わる矢置岩、鬼の首を埋めたと言われる御竈殿(おかまでん)など、伝説の舞台を体感できます。釜が鳴る音によって吉凶を占う「鳴釜神事」は多くの人に親しまれています。1425年に再建された本殿と拝殿は全国で唯一の吉備津造り比翼入母屋造り・ひよくいりもやづくり)という建築様式を採用し、国宝に指定されています。また、本殿から続く360mの美しい廻廊は一見の価値がある歴史的建造物です。
※岡山観光WEBサイトより引用
 備中高松城址資料館  備中高松城は備前の国から備中松山にいたる松山往来沿いの要衝の地にあり、天正10(1582)年の高松城水攻めの主戦場となった城趾として有名です。高松を含む吉備路は文化財・史跡の宝庫であり、館内には高松一帯から出土された遺物、文化財が多数展示されています。
※岡山観光WEBサイトより引用

     






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