伊勢神宮 |
伊勢神宮の正式名称は「神宮」。内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)が有名ですが、実はその他にも大小さまざまな社が伊勢志摩地域に点在し、すべてで125社から成る神社です。起源は今から約2000年前、大和から皇祖神・天照大御神の御杖代として旅した倭姫命が、五十鈴川のほとりに皇大神宮を定めたとされています。その約500年後、天照大御神の食事を司る神をまつったのが豊受大神宮です。
※伊勢志摩観光ナビHPより引用 |
おかげ横町 |
伊勢神宮内宮門前町の真ん中にあり江戸から明治期にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現されたおかげ横丁。たくさんのお土産屋さんや料理店が立ち並んでいます。また、神恩太鼓の演奏や紙芝居の口演等もあり、毎日が観光客で賑わいます。
※伊勢志摩観光ナビHPより引用 |
松坂城 |
天正12年(1584)、羽柴秀吉により松ヶ島城に封ぜられた蒲生氏郷が、飯高郡矢川庄四五百の森の独立丘陵に目をつけ、夜を日に継いで同16年(1588)に入城できた平山城がかつての松坂城です。誇らしげにそびえ立つ石垣は、松阪のシンボル的存在。桜や藤、銀杏が石垣を彩り、四季を通じて市民に親しまれている。城跡からは城下町の面影を残す町並みを一望できる。平成23年2月7日 国の史跡に指定されました。
※松阪市観光協会HPより引用 |
村山龍平記念館 |
本館は、昭和58年4月に開館。1階に図書館、研修室、事務室を完備。2階には郷土資料館、資料所蔵庫等を設け、玉城町の社会教育の振興と地方文化の発展を志向して活用されています。我が郷土・玉城町が誇りとする村山龍平翁は、嘉永3年(1850年)伊勢国田丸に生まれ、紀州藩旧田丸領に仕えた旧士族。明治維新後、一家を挙げて大阪に移住。明治、大正、そして昭和の初頭、我が国激動の時代を生き、そのたくましい開拓者精神と、卓越した指導力をもって朝日新聞を創始。これを育成し、「朝日」を世界に誇る大新聞に仕立てあげられた新聞界の英傑として知られています。また、社会事業、文化事業にも多大のご功績を残されています。
※玉城町HPより引用 |