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  続日本100名城・・・・・No.150 古宮城
 古宮城は武田信玄が元亀3年(1572)頃に築城し、その縄張りは馬場春信が設計したと考えられています。元亀4年(1573)に武田信玄が逝去すると、当地の領主であった奥平定能・定昌親子は徳川家康に内通して武田家から離反することを企てました。武田軍は奥平親子を捉えようとして争いになり「古宮城の戦い」が起こりました。この時、奥平親子の援軍として駆け付けた徳川家康軍は手薄となった古宮城にも攻め入り、一時、城内から武田勢を撤退させたと伝えられています。天正2年(1574)、古宮城には武田勝頼の命を受けた小幡与一らが作手城番として入城したことが知られています。しかし、「長篠・設楽原の戦い」で武田勝頼が織田信長と徳川家康の連合軍に敗北すると、当地における武田方の影響力は失われることとなりました。古宮城が武田の拠点として存続した期間は、わずか3年余りでした。

※お城のパンフレットより引用

《見学の注意事項》
古宮城跡の敷地の多くは、個人所有の土地です。
順路のショートカットや見学時間の短縮等のために、個人住宅の敷地内を無断で立ち入る行為はやめ白鳥神社からの出入り口を必ず経由して見学をお願いします。史跡地の見学は、関係する多くの地主の方のご理解により、自由見学の利用に供しています。見学される皆様のご協力をお願いいたします。
★これは新城市からのお願い事項です
 
 概要  平山城
 別名  ―
 築年/廃年  元亀2年(1571年)?/天正3年(1575年)ころ?
 築城主  武田信玄?
 歴代城主  不明
 所在地  新城市作手清岳字宮山地内
 最寄り駅  JR 飯田線新城駅下車、市営バス作手高里線で新城栄町乗車し、鴨ヶ谷口下車。 徒歩約 10分
 最寄りIC  新東名高速道路 新城 IC 国道151号線→301号線経由
 駐車場  有(無料) (白鳥神社前に数台と神社から少し東に行った所にも数台)
 休館日  毎週火曜日(火曜日が休祝日の場合は次の平日休館) ※ただし、夏休み期間中は開館
年末年始(12月29日から翌年1月3日まで)
 スタンプ設置場所  作手歴史民俗資料館
 作手歴史民俗資料館が休館日の時はYショップつくっで店で押せます
 ウェブサイト  新城市HP


  周辺の地図



  古宮城の見どころその他情報
 作手歴史民俗資料館でスタンプをゲットしてから古宮城に移動です。白鳥神社前に車を停めて、トレッキングシューズに履き替えて神社の階段を登っていきます。作手歴史民俗資料館でいただいたパンフレットの地図を参考に進んでま、まず虎口が目に入り虎口を通り抜けると「両袖枡形」と書かれた看板を発見です。そこには大きな木があり立入禁止と書かれているのでご神木でしょうか。ご神木の横を通り過ぎると曲輪です、東曲輪(主郭)で左手に仕切り土塁を発見です。曲輪を土塁で仕切っているんですね。その土塁の左後方に櫓台跡があります。そして虎口まで戻って西曲輪の方に向かうと、土橋に掘、西地区主郭と馬出の看板が。地図を見ると西曲輪と馬出は離れているので???です。その後は迷路のような城内を横堀や堀切などから帯曲輪、牢屋などを見て最後に石垣を発見したのでその写真を撮って白鳥神社に戻ってきました。大手口がわからなくて残念だと思って一端白鳥神社から城外に出て西方向に歩いていると、道路を挟んだ畑で農作業をされてる方から声をかけられて話しているとお城の土地の持ち主だということがわかり、大手口がわからなくて・・・と言ったところこちらへと家の敷地内へと案内されさらに進んで城内に入ったところまで連れてきていただきました。所有者に迷惑をかけないようにと書いておきながら、そのとき私の顔がよほど困っている顔に見えて声をかけていただいたのでしょうか。所有者の方、その節はほんとうにありがとうございました。ここは全部見学できなかったのでリベンジしたいお城です。

 見どころ

 ◆大堀切り
 ◆土塁
 ◆堀
 ◆両袖枡形虎口
 ◆横堀
 ◆竪堀
等が見所となります。

 観光スポット

亀山城趾 応永31年(1424)に奥平貞利が築城したもので、奥平氏5代が居城し、慶長7年(1602)から同15年 (1610)まで作手藩1万7千石(藩主・松平忠明)城郭として栄えました。遺構は本丸を中心に各種の曲輪、土塁、空濠が現存する奥三河屈指の平山城です。
※キラッと奥三河観光ナビHPより引用
鳳来寺 大宝3年(703)利修仙人により開山された、薬師如来を祀る真言宗五智教団の本山です。古くから信仰を集め、江戸時代には幕府からも厚い保護を受けたため、3代将軍家光の時代には21院坊、寺領1,350石という盛大さを誇りました。その家光によって建てられた仁王門は国の重要文化財に指定されている他、この近辺は愛知県の県鳥であるコノハズクが住む山としても有名です。
※キラッと奥三河観光ナビHPより引用
長篠城址 長篠城は、三河設楽郡長篠(現・愛知県新城市長篠)にあった城です。この城は永正5年(1508年)に菅沼元成によって築かれ、豊川と宇連川の合流点に位置し、北方に人工の塀と土塁を置いた堅固な造りとなっていました。天正3年には21歳の奥平貞昌が城主となり、武田勝頼の包囲に耐えました。現在は国の史跡に指定された他、日本100名城にも選ばれており、人気の城跡として整備されています。
※キラッと奥三河観光ナビHPより引用
長篠城址史跡保存館 長篠城址史跡保存館は、「長篠の戦い」に関する資料を保存・展示し、この地の歴史を伝えています。「長篠城」の城址は国指定史跡や「日本100名城」に選ばれており、また保存館周辺にも合戦にまつわる数々の史跡が残されているという大変興味深い土地です。
※キラッと奥三河観光ナビHPより引用
四谷の千枚田 四谷の千枚田は鞍掛山(標高883m)に水源を持ち、麓に広がる石垣による棚田です。山の中腹から出る湧き水は、大雨が降っても濁ることがありません。高低差200メートルに現在22戸の農家の方々が420枚の田を耕しており、『日本の棚田百選』にも選定されています。
※キラッと奥三河観光ナビHPより引用



     






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