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  その他の名城・・・・・No.TK001 菩提山城
 天文13年(1544年)美濃守護土岐頼芸が、岩手四郎に宛てた書状に「菩提山城之儀申出之処、・・・・」(菩提山城を守り、近江浅井氏と六角氏が美濃に侵入しないように要請した)とあるのが、菩提山城いn関する最も古い資料である。この頃にはすでに築城されていたことがわかる。岩手氏は漆原に居館を構え、詰城として菩提山城を築いていたものと考えられる。戦国時代、この地に勢力を誇っていた岩手弾正忠信冬を、永禄元年(1558年)竹中半兵衛の父竹中重元が追放し、翌年には菩提山に再構築したことが「竹中家譜」に、また、竹中氏の館は西福村にあり、菩提山城が詰城であったことが「竹中家雑事記」に記載されている。菩提山城跡は、標高402m、南北約300m、東西150mの規模で、この山の上にあった城は詰城であり、実際に居住したのは麓の西福村に構えた館であった。重元の死後、19歳で家督を継いだ半兵衛はこの館を拠点に活躍した。半兵衛が三木城攻めの陣中で没した後、嫡男の重門はまだ幼少だったため、半兵衛の従弟の重利が城代として城を守り重門に引き継いだ。関ヶ原合戦が終わると、重門は戦国の時代も終わった世の中では生活に不便であるこの城を、慶長13年(1608年)に廃城とし岩手に館を構えた。菩提山山頂には、山を切り盛りした普請や自然を巧みに利用して竪堀、土橋、曲輪、堀切、空堀、切り岸など多くの歴史的遺構が残っている。

※お城のパンフレットより引用

 
 概要  山城
 別名  菩提城、岩手城、菩提寺城
 築年/廃年  永禄2年(1559?)/不明
 築城主  竹中重元
 歴代城主  竹中重元→重治→重利
 所在地  岐阜県不破郡垂井町岩手
 最寄り駅  JR垂井駅下車 徒歩約60分
 最寄りIC  名神高速道路関ケ原ICから約15分、養老SAスマートICから約15分
 駐車場  有(無料) 竹中氏陣屋跡近くの観光駐車場
 休館日  お城は随時見学可能
 ウェブサイト  垂井町HP


  周辺の地図



  菩提山城の見どころその他情報
 まずJR垂井駅前の垂井町観光案内所でお城のパンフレットや竹中半兵衛に関する資料などをいただてからの登城です。お城のパンフレットは散策マップになっているのと縄張り図も載っているので助けになると思います。菩提山城へは八幡神社からと白山神社からと二ヶ所の登り口がありますが八幡神社からは大手道を通るルートになります。白山神社より歩く距離は長くなりますが大手道を通る方を選択しました。竹藪の中細い道を登ると鹿などの獣が進入しないようにと柵が設けられていて入ったあとしっかり閉めて進みます。山道を登っていきますがこれが長いこと。菩提山城跡まで1586m・禅幢寺364mという看板が現れます。まだまだですが、めげずにさらに進むと400mの看板が現れますが、なんと熊の目撃情報という張り紙がしてあります。(令和元年に)登城日は2022年3月19日でしたが今(2024年)だともっと頻繁に出没しているかもしれません。しばらく進むとここから菩提山城跡という赤色の看板が現れすぐ向こうに竪堀の看板が見えやっと遺構に遭遇です。しっかり残っている竪堀でしたよ。竪堀のあとは大手曲輪に。大手曲輪から三ノ丸へ行くと切り岸があります。そして三の曲輪の先にはなんと結構深い堀切があります。見事な堀切なので皆さん必見ですよ。堀切を降りて腰曲輪に向いその先には水の手があるようでしたが草木が行く手を阻んでいたため断念です。少し戻ってみると右手には畝城竪堀や堀切、竪堀が満載で見応え十分で堪能できました。それから三の曲輪に戻って台所曲輪から西曲輪に進むと左手には馬すべり坂や竪堀があります。その先には北の水の手があるようでしたが行かずに馬出を通って本曲輪に到着です。本曲輪からは眺めがよいので景色を見ながらお弁当っていうのもいいかもしれませんね。この菩提山城は遺構がしっかり残っているのでほんとよかったです。ただ登り口から遺構まで時間がかかるのでもしかして道を間違ってるかも?って思うかもしれませんが迷うようなところはないので心配しないで登れると思います。

 見どころ

 ◆堀切
 ◆竪堀
 ◆畝城竪堀
 ◆空堀
等が見所となります。

 観光スポット

竹中氏陣屋跡 戦国時代の智略が飛び交うなかで、豊臣秀吉の名軍師『竹中半兵衛』とその一族の活躍には目を見張るものがありました。半兵衛の息子重門(しげかど)が、築造した陣屋跡には白壁の櫓門、がっしりとした石垣が残っており、旗本では珍しい城郭建造物です。
※ふくしまの旅HPより引用
菁莪記念館 江戸幕府は、朱子学を官学とし藩校などでは武士教育が盛んに行われ儒学が浸透していきました。岩手の旗本竹中氏は、天保年間に道場菁莪堂をつくり、文武両道を指導。明治になって菁莪義校、菁莪学校として発展しました。現在、岩手小学校の東南に菁莪記念館が建てられています。岩手地区や竹中氏にまつわる資料が展示、保存されています。
※アソビュー!HPより引用
禅幢寺 永禄元年(1558)竹中氏が6000貫の領主となり、竹中半兵衛は、父重元と共に菩提山に城を築きました。天正7年(1579)播州三木(現在の兵庫県三木市)の陣において行年36歳の若さで病没した半兵衛の菩提を弔うために、その子重門がこのお寺に墓を移しました。お寺の背後には、かつて半兵衛の居城であった菩提山城跡が残る菩提山がそびえ立ち、ハイキングコースの入り口もあります。毎年6月には、半兵衛の法要が行われており、全国各地から半兵衛ファンが訪れます。
※桑折町HPより引用
岐阜関ケ原古戦場記念館 慶長5年(1600)に関ケ原の戦いが繰り広げられた場所として有名な岐阜県関ケ原町。令和2年10月に関ケ原の戦いの全てが理解できる、最新技術を結集した体験型の施設「岐阜関ケ原古戦場記念館」がオープンしました。足元に移されるスクリーンの映像を見ることで、関ケ原の戦いを俯瞰して学ぶことのできる「グラウンド・ビジョン」、風や振動、光や音の演出が加わり、まるで関ケ原合戦に自分が参戦しているかのような体験ができる大迫力の「シアター」、関ケ原古戦場ならではの貴重な収蔵コレクションなど、見所がたくさんです。
※国見町HPより引用


     






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