メタセコイア並木 |
農業公園マキノピックランドを縦貫する県道小荒路牧野沢線には、延長約2.4kmにわたりメタセコイアが約500本植えられ、遠景となる野坂山地の山々とも調和し、マキノ高原へのアプローチ道として高原らしい景観を形成しています。この並木は、昭和56年に学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環としてマキノ町果樹生産組合が植えたのが始まりですが、組合関係者をはじめとする地域の人々の手により慈しまれ、育まれて、その後さらに県道も協調して植栽され、延長が伸ばされたことから、現在のこの雄大な姿となったものです。平成6年、読売新聞社の「新・日本街路樹百景」に選定され、注目を集めるに至っています。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 |
白鬚神社 |
湖中に朱塗りの大鳥居があり、国道161号をはさんで社殿が鎮座します。「白鬚さん」(しらひげさん)、「明神さん」の名で広く親しまれ、また近江の厳島(いつくしま)とも呼ばれる近江最古の大社です。社名のとおり、延命長寿・長生きの神様として知られ、また、縁結び・子授け・開運招福・学業成就・交通安全・航海安全など、人の営みごと、業ごとすべての「導きの神」でもあります。祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)です。創建以来2000余年の歴史を誇り、現在の社殿は豊臣秀吉の遺命によって、その子秀頼が片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として造営したものです。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 |
大溝城跡 |
JR近江高島駅の東南約150mにあります。石垣に囲まれた小高い森が、大溝城の天守跡です。大溝城は新荘城(現新旭町)にいた織田信澄(のぶすみ)が、安土・桃山時代に築城したもので、商家や寺院などを移して城下町を造りました。本丸の南東の乙女ヶ池は琵琶湖の内湖で、古地図によると、大溝城は城堀を内堀とし、乙女ヶ池を外堀とする水城であり、「鴻湖(こうこ)城」とも呼ばれました。江戸時代に分部光信が城主になると、この地を陣屋として12代光謙(みつのり)の明治維新までその支配が続きました。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 |
清水山城 |
清水山城は現高島市新旭町熊野本・安井川に所在します。清水山城は戦国時代のお城を見るうえで大切な遺跡として、清水山城遺跡、清水山遺跡(清水寺・屋敷地)、本堂谷遺跡(大宝寺・屋敷地)の範囲が、清水山城館跡(しみずやまじょうかんあと)として平成16年2月27日に国史跡に指定されました。西佐々木一族の惣領佐々木越中氏の居城と伝えられています。清水山城の城下は、推定される大手道が接続する西近江路に沿って南北に広がっていたと考えられています。※史跡地内には、トイレはありませんので、新旭森林スポーツ公園内の施設等、他の公共施設をご利用ください。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 |
道の駅
藤樹の里あどがわ |
高島市の観光案内と特産品販売を中心に、地場産業の扇子づくりの体験工房なども備えて多くの観光客の方にお楽しみいただける施設として営業しています。レストラン・軽食・コンビニエンスストア、情報コーナー兼休憩施設などもございます。湖西にお立ち寄りの際には、是非お越し下さいませ。ホッとする 心とからだに 道草を・・・
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 |