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  その他の名城・・・・・No.KI003 田中城
 田中郷の領主・田中氏の居城であった田中城は、泰山寺野台地から舌状にのびる支丘の先端部に築かれた中世末期の山城で、現在も上寺(うえでら)区西側の山間部にその遺構を残しています。主郭があったと推定される曲輪の標高は220m、平地との比高差はわずか60mで同時期の山城と比べて標高の低い場所に位置していますが、城域の要所に堀切、土塁、武者隠しなど外敵を防ぐための遺構が見られ、相当の規模を誇る城郭であったことがうかがえます。元亀元年(1570年)4月、織田信長は越前の朝倉義景を討つため「田中の城」に逗留したと「信長公記」に記されており、この軍勢には後の豊臣秀吉、徳川家康も参加していました。その後、浅井長政の勢力下に置かれた田中城は元亀4年(1573年)に信長の手によって攻略され、明智光秀の支配を受けて終焉を迎えますが、田中氏の流れをくむ田中吉政は、秀吉、家康に相次いで仕え、三河国岡崎城主、筑後国柳川城主として城下町の建設・整備に手腕を発揮したことで現在も称えられています。


※旧安曇川町・上寺区等制作看板よりより一部抜粋


 
 概要  山城
 別名  上寺城・上の城
 築年/廃年  戦国時代
 築城主  佐々木田中氏
 歴代城主  佐々木田中氏
 所在地  滋賀県高島市安曇川町田中
 最寄り駅  JR安曇川駅 よりバス、タクシー
 最寄りIC  北陸自動車道木之本IC 国道303号線→国道161号線→県道297号線
 駐車場  なし
 ウェブサイト  びわ湖高島観光ガイトHP


  周辺の地図



  田中城の見どころその他情報
  2024年11月9日に登城しました。
田中城には駐車場がないと調べていたのでJR安曇川駅の駐車場で車を停めて観光協会で貸し自転車を借りて自転車で田中城まで行く予定をしていましたが、駅の駐車場が満車で停めることができず田中城まで車で行き田中城近くの会社の駐車場をお借りしました。(土曜日でしたが会社は業務をされていました)駐車場から入口まで少し歩いきますが門扉の前には田中城跡と彫られた石碑があり,いつもの門扉があり入ったら扉をしっかり閉めて登城です。まっすぐ進む道もあるのですが右に進むのが順路でまっすぐの道は帰りの順路です。順路に従って進んで行くと周りに木が生えた処に見張り台跡がありましたが当時は木がなくしっかり見張りができたのでしょう。そこから右手に曲がると土塁がいくつかあり、左の順路に行く前に直進して武者隠しを見ることに。下っていくと帯曲輪のような感じの処にありました。その先には土橋がありそこから登ってくる敵を迎え撃つ感じでしょうか。その土橋に行くとヘビと出くわしビックリです。11月9日の登城でしたがまだ暖かいのでヘビも冬眠には早かったのかもしれません。土橋の先の方まで行きましたが先から進むことができませんでした。(勾配がきつく怖くて降りることができません)それから先ほどの順路に戻り土橋などを見ながら進むと堀切が現れます。なかなかの堀切でした。この先には階段があり登ると観音堂がありました。ここは田中城ができる前からあったとされる松蓋寺とのことです。ここから順路は左となっているので進みますが、なんと人の肩ぐらいの高さのあるクマ笹が生い茂っています。10mぐらいその中を進むのですがこういうの嫌ですね。ちょっと怖かったです。クマ笹部分を通り抜けしばらく進むと高島方面が見渡せる処に出て右に折れ山頂部に向かいます。この先には厳しい尾根が続くので皆さん注意して進みましょう。天守部に到着すると周りが急な斜面になった小高い丘のような天守跡があり上に「つぶて石」と「のろし台」と書いた看板が立っていました。こを登ろうと周りを回り登りやすい所を探したもののなくて登るのは断念して、先にある堀切や土橋を見に行きました。先の方は尾根道で狭いので滑って下に落ちないように注意しないといけません。ここで遺構は終わりなので戻ることに。行きと違った順路も通りつつ下におりていくと、途中で何か鳴く声が聞こえたのでその方向を見るとなんと猿がいます。慌ててカメラを準備して撮影しましたが一応写っていました。その後様子を見ていましたがこちらに来ることもなく上の方へ去っていきました。こちらに来たら問題でしたが。あとは何事もなく入口の柵のところに戻って来られました。名城には選ばれていませんが、なかなか見応えのある城でした。田中城は行きと帰りの道がところどころで異なっていて遺構を多く見ることができるように考えられているようです。最後に安曇川町、安曇川町商工会、安曇川観光開発委員会が発行している田中城跡歴史ハイキングMAPはよくできていて登城の時に持参されたらいいと思います。残念なのは順路等の木の案内板が朽ちていて下に落ちているものが結構ありました。高島市さん、修復してくださいね。
MAPはこちらから


 見どころ

 ◆土塁
 ◆堅堀
 ◆土橋
 ◆武者隠し
 ◆堀切
等が見所となります。

 観光スポット

メタセコイア並木 農業公園マキノピックランドを縦貫する県道小荒路牧野沢線には、延長約2.4kmにわたりメタセコイアが約500本植えられ、遠景となる野坂山地の山々とも調和し、マキノ高原へのアプローチ道として高原らしい景観を形成しています。この並木は、昭和56年に学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環としてマキノ町果樹生産組合が植えたのが始まりですが、組合関係者をはじめとする地域の人々の手により慈しまれ、育まれて、その後さらに県道も協調して植栽され、延長が伸ばされたことから、現在のこの雄大な姿となったものです。平成6年、読売新聞社の「新・日本街路樹百景」に選定され、注目を集めるに至っています。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用
白鬚神社 湖中に朱塗りの大鳥居があり、国道161号をはさんで社殿が鎮座します。「白鬚さん」(しらひげさん)、「明神さん」の名で広く親しまれ、また近江の厳島(いつくしま)とも呼ばれる近江最古の大社です。社名のとおり、延命長寿・長生きの神様として知られ、また、縁結び・子授け・開運招福・学業成就・交通安全・航海安全など、人の営みごと、業ごとすべての「導きの神」でもあります。祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)です。創建以来2000余年の歴史を誇り、現在の社殿は豊臣秀吉の遺命によって、その子秀頼が片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として造営したものです。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 
大溝城跡  JR近江高島駅の東南約150mにあります。石垣に囲まれた小高い森が、大溝城の天守跡です。大溝城は新荘城(現新旭町)にいた織田信澄(のぶすみ)が、安土・桃山時代に築城したもので、商家や寺院などを移して城下町を造りました。本丸の南東の乙女ヶ池は琵琶湖の内湖で、古地図によると、大溝城は城堀を内堀とし、乙女ヶ池を外堀とする水城であり、「鴻湖(こうこ)城」とも呼ばれました。江戸時代に分部光信が城主になると、この地を陣屋として12代光謙(みつのり)の明治維新までその支配が続きました。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用
清水山城  清水山城は現高島市新旭町熊野本・安井川に所在します。清水山城は戦国時代のお城を見るうえで大切な遺跡として、清水山城遺跡、清水山遺跡(清水寺・屋敷地)、本堂谷遺跡(大宝寺・屋敷地)の範囲が、清水山城館跡(しみずやまじょうかんあと)として平成16年2月27日に国史跡に指定されました。西佐々木一族の惣領佐々木越中氏の居城と伝えられています。清水山城の城下は、推定される大手道が接続する西近江路に沿って南北に広がっていたと考えられています。※史跡地内には、トイレはありませんので、新旭森林スポーツ公園内の施設等、他の公共施設をご利用ください。
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 
 道の駅 
藤樹の里あどがわ
高島市の観光案内と特産品販売を中心に、地場産業の扇子づくりの体験工房なども備えて多くの観光客の方にお楽しみいただける施設として営業しています。レストラン・軽食・コンビニエンスストア、情報コーナー兼休憩施設などもございます。湖西にお立ち寄りの際には、是非お越し下さいませ。ホッとする 心とからだに 道草を・・・
※びわ湖高島観光ガイドHPより引用 



     






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