お城ファンクラブ
home>日本100名城>盛岡城
  日本100名城・・・・・No.6 盛岡城
 盛岡城は、三戸から不来方(こずかた)の地に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶなお:盛岡藩初代藩主)が、慶長2(1597)年に嫡子利直(としなお:2代藩主)を総奉行(そうぶぎょう)として築城を始めたと伝えられています。城の縄張りは豊臣家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ、北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵上に本丸・二ノ丸・三ノ丸・淡路丸(あわじまる)など曲輪(くるわ)を配し、それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪(うちくるわ)=御城内(ごじょうない)としています。さらに、内曲輪の北側は起伏の激しかった現在の内丸地域を平坦にして堀と土塁で囲み、南部氏一族や藩の重臣たちの屋敷を配置して外曲輪(そとくるわ)としました。また、外曲輪の北側と東側の中津川対岸の城下も堀と土塁で囲み、武士や町人たちの屋敷街である遠曲輪(とおくるわ)=総構(そうがまえ)が配置されています。築城工事は、北上川や中津川の洪水にみまわれながらも続けられ、築城開始から36年後、おおよその完成をみた寛永10(1633)年に南部重直(しげなお:3代藩主)が入城して以降、藩政時代を通じて盛岡南部氏の居城となりました。盛岡城は、明治の廃藩置県の後明治5(1872)年に陸軍省所管となり、明治7(1874)年には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され、城内は荒廃しました。その後、明治39(1906)年に近代公園の先駆者である長岡安平(ながおかやすへい)の設計により岩手公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。平成18(2006)年には開園100周年を記念し、「盛岡城跡公園」と愛称をつけました。また、「日本の名城100選」や「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。

※盛岡市HPより引用

 
 概要  平山城
 別名  不来方城
 築年/廃年  慶長3年(1598)/明治以降
 築城主  南部信直
 歴代城主  南部信直→利直→重直~利恭
 所在地  岩手県盛岡市内丸
 最寄り駅  JR東北本線 盛岡駅 徒歩20分
 ・盛岡都心循環バス「でんでんむし」(左回り)
 ・岩手県交通・岩手県北バス「盛岡バスセンター」行き
 最寄りIC  東北自動車道 盛岡IC 県道1号線経由
 駐車場  有(有料) 盛岡城跡公園地下駐車場
 休館日  毎月第3火曜日(祝・休日の場合は翌日)年末年始(12月31日~1月1日)(もりおか歴史文化館の休館日 お城は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  もりおか歴史文化館
 ウェブサイト  盛岡市HP


  周辺の地図



  盛岡城の見どころその他情報
 盛岡城跡公園地下駐車場に車を停めて、まずもりおか歴史文化館でスタンプと書籍をゲットしました。書籍は「盛岡南部家の生き方 第1部」、「盛岡南部家の生き方 第2部」、「盛岡南部家の生き方 第3部」の3冊です。鶴ヶ池と櫻山神社の間を通って多目的広場(台所屋敷)に入ると、右手に石垣の石がたくさん並んででいます。これらは調度北側の石垣を修理しているのでそれに使う石でしょう。三の丸から車門を抜け二の丸に入ると右手に石川啄木の歌碑があります。少し進むと新渡戸稲造の記念碑もあります。お二人共盛岡の出身なので碑があっても不思議ではありませんね。それから渡雲橋を渡って本丸に。本丸には天守や櫓の跡があるのと、南部中尉銅像台座がありました。本丸門から一度出て、渡雲橋のあるところの堀切を撮影してから淡路丸に。淡路丸には井戸や櫓跡があり、その中に桜山馬場があります。それから戻って淡路丸を出て帯曲輪へ。帯曲輪から彦蔵に向かうのですが、右手の石垣に他の場所にもいくつかある蛇口が見えます。帯曲輪には石垣に使われなかった残念石と呼ばれる石が置いてありました。少し進むと彦蔵が見えてきます。この彦蔵は盛岡城の建造物として、城内に残っている唯一の建造物で江戸時代の後期に建てられたそうです。(詳細年は不明)右手に石垣を見ながら南面から西面に進みます。西面の北側に盛岡城で一番高い石垣があります。高さ約14mだそうです。結構高いですよね。それから北面に戻って櫻山神社にある烏帽子岩を見ましたが、本当に烏帽子のような形をしていてビックリです。盛岡城は東北地方では珍しい総石垣の城です。確かに見事な石垣であったと思いました。一通り見学しお腹もすいてきたのでお昼にします。一応調べておいた盛岡のソウルフードのじゃじゃ麺を。有名店の白龍(パイロン)さんに向いましたが予想はしていたもののやっぱり行列ができています。でもせっかく来たので並ぶことに。並んでいる時にオーダーを聞きにきてくれていて1時間少々並んでやっと店内に入りますが、わりとすぐに運ばれてきたので、店内に入る時間に合わせて調理しているのかもしれません。麺を茹でるのに15分ぐらいかかるそうなので考えて調理されているのでしょうね。できあがってテーブルに運ばれてきたのでラー油やニンニクなどの調味料で自分好みの味にしていただくそうです。最後に少しだけ残して「ちいたんたん」を注文です。これは残った麺の上に卵をのせ麺のゆで汁でとくとできあがり。どちらも美味しかったですよ。皆さんも盛岡を訪問する時で是非ご賞味ください。

 見どころ

 ◆石垣
 ◆彦蔵
 ◆烏帽子岩
 ◆渡雲橋
等が見所となります。

 観光スポット

 もりおか歴史文化館 岩手県立図書館として使われていた建物を全面改装し、2011年、盛岡城跡公園(岩手公園)の一角に開館。1階では盛岡の祭り(チャグチャグ馬コ・盛岡さんさ踊り・盛岡秋まつり山車)や旬の観光情報を紹介し、2階では盛岡藩の歴史や南部家の至宝を展示しています。喫茶(お休み処「不来方」)併設。
※岩手県観光協会HPより引用
岩手県立美術館 2001年10月に開館した岩手県立美術館は、盛岡駅の西側、新しい文化ゾーンである盛岡市中央公園に位置しています。萬鐡五郎、松本竣介、舟越保武を柱とした郷土作家の作品を中心に収集展示し、また、国内外の様々なテーマによる企画展を開催しています。同時に講演会や、ワークショップ、コンサートといった美術に親しむための様々なイベントを開催し、21世紀の岩手の新しい文化施設を目指しています。
※岩手県観光協会HPより引用
もりおか町家物語館 平成18年まで酒造りが行われていた「旧岩手川鉈屋町工場」の酒蔵を改修し、『もりおか町家物語館』としてオープンしました。4棟ある建物のうち、「浜藤の酒蔵」では、酒蔵の歴史や昭和の記録映像をご覧いただけます。「下屋」(蔵と蔵の間を利用した軒下スペース)では、旧岩手川の貴重な資料展示をご覧いただけるほか、「母屋」には総合案内所やコミュニティスペースがあり、観光のご案内や美術展、各種講座などの催しものが行われます。
※岩手県観光協会HPより引用 
プラザおでって 盛岡弁で『おいでください』という言葉から名づけられた情報発信基地。2階の「観光文化情報プラザ」のほか、特産品の販売、軽食喫茶店などがあります。また6階の「盛岡てがみ館」では盛岡ゆかりの偉人たちの手紙や日記などを収蔵・展示しています。
※岩手県観光協会HPより引用 
 寺町通り 南部鉄器の街路灯や石畳風の歩道、寺院の塀が続く通りは、昭和62年「日本の道百選」に選ばれた。五百羅漢で知られる報恩寺、岩手の地名伝説にもなっている三ツ石神社などはこの近く。
※岩手県観光協会HPより引用 
 石割桜  盛岡地方裁判所前に、周囲21メートルの巨大な花崗岩を割ってエドヒガンザクラが伸びています。根回り4.3メートル、高さ10メートルで、樹齢は360年以上ともいわれているこの桜は、毎年4月中旬からきれいに花を咲かせます。春の日差しそそぐ日中もきれいですが、夜桜もまた情緒があります。大正12年(1923)には国の天然記念物に指定されています。
※岩手県観光協会HPより引用

 書籍

 もりおか歴史文化館で書籍を販売しています
 <書籍の内容について>
  盛岡南部家の行き方第1部
最初に南部家の系譜と言うことで家系図、初代から41代まで記され天下人豊臣秀吉との関わりや有力大名との交流について書状を示して解説されています。次は盛岡の城づくりと町づくりなど絵図面を用いて示されています。最後に盛岡の産業育成と文化興隆について写真や奉書で解説されています。
 <書籍の内容について>
  盛岡南部家の行き方第2部
江戸時代中期に災害が頻発し支出が増え藩の財政が悪くなっていく様子が書かれています。そこで藩主の財政改革についてどう改革したのか、書面、記録や絵図によって解説されています。最後に御家の由緒や伝統を見つめ直し、自分たちが何者であるかといった自己同一性の形成を試み始めようで南部家の鎧や和歌や能などの芸術関係の記録や写真を用いた説明などが記載されています。
 <書籍の内容について>
  盛岡南部家の行き方第3部
江戸時代後期の内政の危機的状況や鎖国政策の動揺など書面や写真などで解説しています。次に生き残りをかけた南部家の挑戦ということで人材登用や情報収集について書面や写真で解説されています。幕末の倒幕から戊辰戦争について書面や絵図で解説されています。最後に明治維新の盛岡藩について解説されています。

 お知らせ

観光ボランティアガイドがあります。
詳しくはこちらをご覧下さい。

     






Copyright © oshirofan.club All Rights Reserved.