加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15(1546)年に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、天正8(1580)年、佐久間盛政が築城を開始しました。天正11(1583)年、加賀初代藩主前田利家が能登から入城し(この様子が毎年6月の「金沢百万石まつり」での行列で再現されています)、本格的に城造りがなされました。
慶長7(1602)年に天守閣が落雷による火災により焼失し、その後は江戸幕府への遠慮から再建されませんでした。寛永8(1631)年の大火後には、もともと城内にあった武家屋敷は城外へ移されました。
宝暦9(1759)年の火災では城内のほとんどが焼かれましたが、その後は実用性を重んじた再建がなされ、二の丸を中心に整備されていきました。
現在、重要文化財に指定されている石川門は、天明8(1788)年に再建されたものです。また現在金沢城公園で唯一の有料施設となっている菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、文化5(1808)年の二の丸火災後に再建されましたが、明治14(1881)年の火災で再び焼失し、平成13(2001)年に再建されました。
※兼六園刊行協会HPより引用
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