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高遠城
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  日本100名城・・・・・No.30 高遠城
 高遠は古くから諏訪氏の勢力圏にあって、南北朝の頃よりその支族である高遠氏が一円を治めていていました。しかし、ここが諏訪から伊那へ抜ける交通の要衝であり、南信濃から駿河や遠江に進出するための重要な地点であったことから、天文年間(1532~1555)に武田信玄の侵略に遭い、その旗下に属しました。高遠を手に入れた信玄は、高遠城の拡張改築を家臣に命じ、天文16年(1547)に「鍬立て」を行っています。この築城に関わったのが山本勘助と伝えられています。
江戸時代には大規模な改修がなされているため、当初信玄が改修した城の姿はわかっていませんが、各曲輪を隔てるためにめぐらされた深い空堀や、城内に残る土塁からは、地形を巧みに利用した戦闘的な城の姿がうかがい知ることができます。武田氏による高遠の支配は35年間続きましたが、高遠城が南信州の拠点として重要視されたため城主は諏訪(武田)勝頼や仁科五郎盛信など信玄の近親者が就いています。中でも天正10年(1582),伊那谷に攻め入った織田軍と仁科五郎盛信の姿は後々まで語り継がれ、盛信の流した血は城内に植えられているコヒガンザクラの赤みにもなぞらえられています。

※お城のパンフレットより引用

 
 概要  山城
 別名  兜山城
 築年/廃年  不明/明治以後
 築城主  不明
 歴代城主  高遠氏~秋山信友→武田勝頼→信廉→仁科盛信~毛利秀頼~保科氏~内藤氏
 所在地  長野県伊那市高遠町東高遠
 最寄り駅  JR飯田線 伊那市駅 バス約25分 高遠駅下車 徒歩約15分
 最寄りIC  中央自動車道 伊那IC 国道361号経由
 駐車場  有(観桜期間のみ有料)周辺駐車場
 休館日  月曜日・祝日の次の日 12月28日~1月3日(伊那市立高遠町歴史博物館の休館日 城跡は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  伊那市立高遠町歴史博物館
玄関の屋外にありますので、博物館の開館時間外でもご利用いただけます。
 高遠城のHP  伊那市HP
 伊那市観光協会HP


  周辺の地図



  高遠城の見どころその他情報
 武田信玄の五男仁科五郎盛信が織田信長の長男信忠と戦い壮絶な死を遂げた高遠城ですが
桜の名所として知られ、さくら名所百選に選ばれています。
桜の中でも、タカトオコヒガンサクラが植えられ、天下第一の桜と言われます。
桜の季節にはたくさんの人が花見に訪れ高遠城下は賑わうようです。

 見どころ

 ◆大手門跡石垣
 ◆旧大手門
 ◆太鼓櫓
 ◆空堀
等となります。

 観光スポット

高遠城の桜 園内には約1,500本もの桜があり、古くから「天下第一の桜」と称され、全国的に有名で「さくら名所100選」にも選ばれています。
絵島囲み屋敷 絵島囲み屋敷【えしまかこみやしき】は、大奥【おおおく】年寄【としより】絵島が30年近く過ごした場所です。正徳【しょうとく】4年(1714)、絵島は大奥の権力争いのなかで、江戸から遠くはなれた高遠へ流罪となります。 
伊那市立高遠町歴史博物館 高遠町歴史博物館は、高遠湖と南アルプスの眺めが美しい場所にあります。自然とともに歩み、教育に力を入れて発展してきた高遠の歴史を大観することができます。 

 伊那市役所で書籍を販売しています
 <書籍の内容について>
  高遠城の戦い
この書籍は仁科五郎盛信と織田軍との戦いを解説したものになります。
 <書籍の内容について>
  高遠城跡ガイドブック
まず、中世の高遠城、仁科五郎盛信、江戸時代の高遠城と高遠城の歴史が解説されています。次に高遠城にあった施設の詳細な説明もあり参考になります。またカラーの写真や絵図が結構使用されており見やすくなっています。高遠城に生息する植物の説明もありなかなかおもしろい内容になっています。最後に散策ルートと見どころについての解説があるのでこれを参考に見学されるのもよいかと思います。
<書籍の内容について>
  高遠城
高遠旧図(保科家領)などの絵図の説明があり一般的な城の施設などの解説があった上で次に高藤城の創建と変遷の中で各施設の解説があります。

 グルメ

信州と言えばそば。高遠でしっかりいただきました。
華留運さん
クルミの汁が珍しかったです。


     






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