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松本城
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  日本100名城・・・・・No.29 松本城
 松本城は、戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりです。戦国時代になり世の中が乱れてくると、信濃府中といわれた松本平中心の井川に館を構えていた信濃の守護小笠原氏は館を東の山麓の林地区に移すとその家臣らは林城を取り囲むように、支城を構えて守りを固めました。深志城もこの頃林城の前面を固めるために造られたのです。
その後甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、この地を占領し信濃支配の拠点としました。
その後、天正10年(1582)に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めました。
豊臣秀吉は、天正18年(1590)に小田原城に北条氏直を下し天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。
この時松本城の小笠原氏は家康に従って下総へ移ると、秀吉は石川数正を松本城に封じました。数正・康長父子は、城と城下町の経営に力を尽くし、康長の代には天守3棟(天守:乾小天守・渡櫓)はじめ、御殿・太鼓門・黒門・櫓・塀などを造り、本丸・二の丸を固め、三の丸に武士を集め、また城下の整備を進め近世城郭としての松本城の基礎を固めました。
天守の築造年代は、康長の文禄2から3年(1593~4)と考えられています。

※お城のパンフレットより引用

 
 概要  平城
 別名  深志城・烏城
 築年/廃年  永正元年(1504)・文禄・慶長年間(1592~1615)/明治以後
 築城主  小笠原氏・石川数正・康長
 歴代城主  島立貞永~馬場信春→木曽義昌~小笠原定慶→石川数正→康長~  戸田松平氏
 所在地  長野県松本市丸の内
 最寄り駅  JR篠ノ井線 松本駅 徒歩約15分
 最寄りIC  長野自動車道 松本IC 国道158号経由
 駐車場  有(有料)市営松本城大手門駐車場、市営開智駐車場など
 スタンプ設置場所  松本城管理事務所
休館日   12月29日~31日
 ウェブサイト  松本城


  周辺の地図



  松本城の見どころその他情報
 松本城は現存する天守12城のうち五重六階の天守としては日本最古の天守で戦国期と江戸期という性格の違う時代の天守・櫓が複合された天守群は我が国唯一で、松本城の歴史的な特徴のひとつです。
イベントとして、松本城本丸庭園で毎年春と秋に松本藩古流砲術演武と国宝松本城古式砲術演武が行われ、火縄銃の実演が見物です。

 見どころ

 ◆天守
 ◆辰巳附櫓
 ◆月見櫓
 ◆太鼓門
 ◆黒門
 ◆玄蕃石
等となります。

 観光スポット

 中町通り 松本民芸家具のお店や民芸品店、和食・そば・イタリアン等の飲食店、八百屋さん等、さまざまな年代の方が楽しめる観光商店街です。商店街の数箇所に井戸があり、特にポンプ式の井戸はノスタルジックです。
縄手通り 江戸時代は、総掘りと女鳥羽川に挟まれた土手でした。一本の縄を伸ばしたような真っ直ぐな道から「縄手通り」と呼ばれています。
安曇野ちひろ美術館 絵本画家いわさきちひろと世界の絵本画家の作品を展示する美術館です。 
 旧開智学校 明治9年に完成した旧開智学校は地元の大工棟梁立石清重が設計した学校建築で擬洋風建築の代表です。文明開化の時代を象徴する洋風とも和風ともいえない不思議な建築は「擬洋風建築」と呼ばれています。
松本市立博物館 歴史・民俗分野の収蔵資料による「松本の歴史」「松本歳時記」」を中心に、「松本の伝統工芸」「松本ってどんな街」「松本まるごと博物館」等のコーナーがあり、フロア毎に特色ある展示をご覧いただけます。

 イベント

 国宝松本城お城まつりが毎年秋(10月)に開催され、古式砲術演武・少年少女武者行列などが行われます。

 耳より情報

 松本城の黒い天守はどっしりとした重みがあますよね。しかし、あの綺麗な黒色を保つには皆さんの苦労があります。 と言いますのも、あの黒い色は漆を塗ったものですが、漆は紫外線に弱く長い時間紫外線を浴びると輝きが失われるのだそうです。そのため、なんと1年に1回漆の塗り替えをするのだそうです。金額もかなりかかるのだと思いますが、後世まで綺麗なお城を残せるように関係者の方々にはよろしくお願いしたいと思います。

 書籍

 松本市立博物館で書籍を販売しています。
<書籍の内容について>
  この書籍は基本写真、絵図、イラストを用いて解説されています。26項目にわたって種々解説があり、その中には天守の築造や城下町のこと等があり本丸御殿や二の丸御殿の間取り図まで記載されています。また、天守が保存できるように奔走した恩人のことも記載されています。


     







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