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武田氏館
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  日本100名城・・・・・No.24 武田氏館
 甲府市街の北部に鎮座する武田神社(躑躅ヶ崎館跡)。
戦国時代の永正16年(1519)、甲斐守護・武田信虎(信玄の父)が居館(躑躅ヶ崎館、武田氏館)を築き、家臣団が集住して武田城下町が形成されたのが、甲府市発展の始まり。
信虎以前の武田信昌・信縄時代には武田氏館は石和(甲府市川田町・笛吹市石和町)にあったのです。躑躅ヶ崎館を築いた信虎は、詰城として躑躅ヶ崎館背後の丸山に要害山城(甲府市上積翠寺町)を築城して、有事の備えとしています。武田信玄が生まれたのもこの要害山城です。
躑躅ヶ崎館(武田氏館)は、天目山での武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命で甲府城が築かれて廃城となっています。

※日本旅マガジンより引用

 
 概要  居館
 別名  躑躅ヶ崎館
 築年/廃年  永正16年(1519)/文禄3年(1519)
 築城主  武田信虎
 歴代城主  武田信虎→信玄→勝頼→河尻秀隆→徳川氏→羽柴秀勝
 所在地  山梨県甲府市古府中町
 最寄り駅  JR中央本線 甲府駅 徒歩約35分
 甲府駅(北口)より山梨交通バス「武田神社」行又は、「積翠寺」 行で約8分
 最寄りIC  中央自動車道 甲府昭和IC 県道、国道52号線経由
 駐車場  有(無料)武田神社周辺
 休館日  年中無休
 スタンプ設置場所  武田神社宝物殿、神符授与所
 ウェブサイト  武田神社


  周辺の地図



  武田氏館の見どころその他情報
 平安時代に小さな石が自然に凝固し苔むして巨巌になっている珍しい石を見て、皇室の弥栄、延いては国家の繁栄を祈って歌を詠みました。この歌は、優れた歌として「古今和歌集」に採録されました。その歌が「わが君は千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで」で、この歌を元歌として国歌「君が代」ができあがったと言われています。この石が武田神社にもあります。武田氏館には南東側に約30台ほどの駐車場がありますがすぐに満車になるので西側にも用意されています。遺構として外周部を囲む水堀、西曲輪の虎口が残されており、堀や土塁なども復元されています。そして東曲輪の東側にも虎口が復元されています。この東曲輪の外周部には堀が築かれ、石垣で補強された土橋が付属しています。曲輪の外周部には土塁も復元されているので、こちらも必見です。

 見どころ

 ◆水堀
 ◆石垣
 ◆曲輪
 ◆空堀
等となります。

 観光スポット

 甲府城 武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。
※甲府市HPより引用
 武田神社宝物殿 重要文化財「吉岡一文字の太刀」や、信玄の軍扇など往時を偲ばれる品々を展示しています。
※甲州夢小路HPより引用 
山梨県立考古博物館 石器、縄文土器、博物館近くにある古墳の副葬品などが展示され、旧石器時代から現在に至るまでの先人たちの生活の跡をたどることができます。
※甲府市HPより引用 
 信玄公像 甲府駅前に設置されています。
サドヤワイナリー  サドヤ洋酒店を営んでいた6代目今井精三が1917年に創業。日本で初めてワイン専用ブドウ品種でワインを作ったワイナリーです。

 書籍

  武田神社で書籍を販売しています
 <書籍の内容について>
  武田二十四将正伝
   甲斐武田の興亡と家臣であった甘利備前守、板垣駿河守信方馬場美濃守信春など24将について解説されている書籍になります。


     






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