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  続日本100名城・・・・・No.188 原城
 原城は肥前有馬氏の本城であった日野江城の支城として、1599年から1604年にかけ有馬晴信が築いた城です。島原半島南東部の海に面した丘陵に立地しており、本丸のほか二ノ丸、三ノ丸、鳩山出丸、天草丸などの曲輪で構成されます。全体的には土造りの曲輪が並立する中性的な構造をベースとしながら、本丸のみは総石垣造りで近世初頭頃の城郭の様相となっています。本丸には櫓台や、複数の門を伴う巨大な虎口(出入り口)が設けられ、礎石建ちの瓦葺き建物がありました。1612年晴信の失脚、1614年有馬直純の日向転封を経て、一時天領となった後、松倉氏の支配となりますが、1618年の島原城築城開始に伴って廃城となりました。その後、1637年から1638年にかけて起こった島原・天草一揆では、廃城となっていた原城が一気勢の籠城の拠点となりました。

※お城のパンフレットより引用

 
 概要  平城
 別名  原の城、日暮城、有馬城
 築年/廃年  明応5年(1496)/元和4年(1618)
 築城主  有馬貴純
 歴代城主  有馬氏~松倉氏
 所在地  長崎県南島原市南有馬町
 最寄り駅  島鉄バス:原城前バス停より徒歩15分
 最寄りIC  長崎自動車道諫早IC 国道34号線→国道251号線など経由
 駐車場  有(無料)原城跡駐車場、原城温泉真砂駐車場
 休館日  有馬キリシタン遺産記念館(木曜日・(12月29日~1月3日 お城は随時見学可能)12月29日~1月3日(原城跡総合案内所の休館日)
 スタンプ設置場所  有馬キリシタン遺産記念館、原城跡総合案内所
 ウェブサイト  ながさき旅ネットHP


  周辺の地図



  原城の見どころその他情報
  福江から飛行機で長崎空港に行ってからレンタカーを借りて原城に向かう予定でしたがなんと機材の不良で飛べなくなり急遽タクシーで福江港に向い、ジェットフォイルで長崎港に向かうことになりました。レンタカーも大村店から大浦店に変更しましたがなんとか手配していただき大浦店から原城に向かうことができました。ただ、本来玖島城や日野江城にも行く予定が時間がなく原城だけになっていまいました。(残念です)飛行機が飛ばないことはアメリカで1回ありましたが日本では初めてです。早めにバスで空港に行ったのでキャンセルの手続きはすぐにできてその後の行動を早くできてよかったです。まず、有馬キリシタン遺産記念館でスタンプとゲットするのですが、ここは入口の外に置いてありました。それから原城に向かいますが、原城の駐車場は原城温泉真砂の奥にあるのでそこに止めるのが便利かと思います。まず大手口から登っていくのですが、少しいくと左手に原城の石柱があるので見逃さないようにしてください。草に隠れかけていたので下手をすると見逃すところでした。大手口の右手が三ノ丸で少しいくと二ノ丸になるのですが、草が結構生えているので中に入ることはできませんでした。さらに進むと本丸の手前に結構深い空堀があってこれで敵の侵入を防いでいたのでしょう。本丸の周りには石垣がぐるりにあって、南側には海があるので守りがしっかりしていたと思います。本丸の中には櫓跡、埋門跡、本丸門跡、竪穴建物群跡や天草四郎像などありました。2024年7月28日の登城ですが、この時には本丸内で崩れている所があって入ることができない場所もありました。下に世界遺産の標識と道路を歩いて巡るようになっている写真を載せておきます。

 見どころ

 ◆石垣
 ◆空堀
 ◆大手門跡
 ◆虎口
等が見所となります。

 観光スポット

日野江城跡 一時は肥前国に広域な勢力を伸ばした有馬氏の居城跡。大手門付近などに石垣が残る。近年の発掘で、キリシタンとなった有馬義貞・晴信の時代の状況をかたる仏式の墓石等も利用して作った階段遺構などが発見された。
※ながさき旅ネットHPより引用
鮎帰の滝 高さ約14m、幅約2mの滝。名前は、昔滝つぼの近くまで鮎が帰ってきていたことにちなむ。滝つぼで遊ぶほか、滝の上には一枚岩の平たい岩場があり、滑り台のようにして遊び事も出来る。滝の上には、滝の水を利用したそうめん流しを楽しめる茶屋もあり、行楽シーズンには家族連れで賑わう。
※ながさき旅ネットHPより引用 
仁田峠第二展望所 春には峠にツツジが咲誇り、夏の緑、秋の紅葉、冬の霧氷と四季を通じて雲仙観光の人気スポットとなっている。仁田峠から妙見山頂へロープウェイが運行し、仁田、妙見の展望ラインをなしている。峠へは全長11.3キロメートルのスカイラインが通じ、途中、杉、桧の樹林を縫い、有明海、橘湾の海洋美や九重連山の展望を楽しみながらのドライブはきわめて快適である。
※ながさき旅ネットHPより引用 
 有馬キリシタン遺産記念館 有馬キリシタン遺産記念館では、250年間のキリスト教の潜伏を支えた背景とキリスト教弾圧に至った経過、島原・天草一揆の状況をわかりやすく展示しておりますので、原城跡・日野江城跡に行かれる前に是非お立ち寄りください。
※ながさき旅ネットHPより引用
 島原城 城は松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏・松平氏と4氏19代253年間の居城でしたが、1873年の「存城廃城令」により、民間に払い下げられました。以来、文字通りの荒城となっていましたが、1964年に復興された五層の天守閣をはじめ、3か所に三層櫓を配し、安土桃山様式の壮麗な面影を残しています。
※ながさき旅ネットHPより引用


     






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