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  続日本100名城・・・・・No.186 金田城
 663年白村江(はくすきえ/はくそんこう)の戦いにおいて唐・新羅連合軍に敗れた倭(国)は、西日本各地に古代山城を築き、対馬・壱岐・筑紫に烽火(とぶひ)と国境守備兵・防人(さきもり)を配置しました。日本側の当事者は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、のちの天智天皇)で、大化の改新という政治改革を進めながら外国からの侵略にも備えるという、まさに激動の時代でした。国境の島・対馬は国土防衛の最前線となり、浅茅湾(あそうわん)の複雑な海岸線と、湾に突き出した石英斑岩の岩塊・城山(じょうやま)の地形を利用し、667年、古代山城・金田城が築かれました。防人たちはおもに関東から徴兵され、家族や故郷を想う心情が万葉集の「防人の歌」として今に伝えられています。また、明治期には金田城を再整備する形で砲台が建造され、陸軍砲兵部隊が国境防衛の任にあたりました。のそ間およそ1200年が経過しているにもかかわらず、城山の軍事的重要性は変わらなかったことになります。山頂からは防人も眺めたであろう国境の海を一望でき、春にはゲンカイツツジ、秋にはダンギクなど対馬を代表する花々も観察できます。ぜひ、現地を訪れ「国境も島・対馬」の自然・歴史・景観が凝縮された金田城のい魅力をお楽しみください。


※お城のパンフレットより引用

 
 概要  古代山城(朝鮮式山城)
 別名  ー
 築年/廃年  天智天皇6年(667年)/不明
 築城主  大和朝廷
 歴代城主  ー
 所在地  長崎県対馬市美津島町黒瀬
 最寄り駅  ー
 最寄りIC  ー
 駐車場  有(無料)登城口前に数台
 休館日  年末年始(下記どちらも お城は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  美津島地区公民館 、観光情報館ふれあい処つしま
 ウェブサイト  対馬観光物産協会HP
 対馬市HP


  周辺の地図



  金田城の見どころその他情報
  長崎空港から乗り継いで対馬空港に。レンタカーを借りて金田城へ直行です。空港からすぐの所に保存展示されている「対馬の石屋根」がありました。車の窓から見ただけですが。金田城の登城口まで細い道だと知っていたので車は軽自動車を借りています。その登城口まで結構あって、最初は舗装された道なのが途中から舗装されていなくてがたがたとゆっくりしか走れません。しばらく走るとやっと登城口前に到着です。登城口前には数台しか止める場所がなく既に2台止めてあって小型のバスも1台止まっていました。このバスから降りた人たちでしょうか、二十名ぐらいが登り始めていました。短パンだったので長ズボンに着替えそしてトレッキングシューズに履き替えてから登城です。二十名の後を追うことになるのですが、西南角石塁と三ノ城戸では彼らと一緒になり思うような写真が撮れず少々残念でした。登城口からしばらく道の両側に高い木があり、太陽の光が少ししか漏れてこない中を歩いていくと左側が石の壁があり正面から右側に対馬の海が見えてきます。当日は天気がよく綺麗な青空ですが暑かったです。そこからしばらく行くと東南角石塁に到着です。下の方に降りて右に曲がると石塁がしっかり見えます。1400年近く前の人がよくこんな石垣を作ったのか凄いことです。しかも日本を守ろうとして。次に三ノ城戸に向け進みますがこちらも下から見上げましたが綺麗に積みあげてますね。ただ、石に苔が生えていて行かれる方は滑らないように注意してくださいね。ここで20名の人たちを追い越して二の城戸へ向ますが途中にビングシ山分岐点付近に土塁があります。草が生えているのでちょっと見にくかったです。二ノ城戸は木造階段が壊れかけていて修理するまで利用できないと看板がありました。なので通らずに撮れる範囲で撮影しました。二ノ城戸もしっかり積まれた石垣で立派なものでした。そして一ノ城戸の石垣も立派で水門も現在も機能していて決壊を防いでいるそうです。昔の人の技術力の高さに驚かせられます。それから東屋から南門を通って戻ってきましたが、途中で登りの木の階段で滑って前のめりになり転けちゃいました。幸い右手首にかすり傷程度ですんでよかったですが皆さん滑らないよにお気を付けください。この金田城の見学時間は早足で巡ったこともあり1時間半ぐらいでした。ただし、山頂や砲台跡付近には行ってません。夜は居酒屋で珍しい刺身をいただきました。やがらという魚です。あっさりしていて美味しかったですよ。ただ、穴子の白焼きは食べることができず煮付けだけでした。漁ができなかったのかもしれません。あと対馬名物のとんちゃんも食べました。こちらも美味しかったですよ。


 見どころ

 ◆石垣
 ◆土塁
 ◆水門
 ◆城門
 ◆建物跡
等が見所となります。

 観光スポット

対馬カヤックス シーカヤック体験初めての方から経験者のかたまでいろいろなツアーメニューを用意して歓迎いたします。 穏やかな内海・浅茅湾と対馬海峡に面する外海。 二つのフィールドを併せ持つ対馬でシーカヤックの面白さを味わってください。
※アソビューHPより引用
韓国展望所 韓国まで49.5㎞の至近距離にある上対馬町は、天気のよい日には韓国釜山市の町並みが望める、まさに「国境の町」です。この展望所は、地理的にも歴史的にも深い関係にある韓国の古代建築様式を取り入れて建造されており、展望台についてはソウルのパゴダ公園にある多目的施設を、ゲートについては韓国国際ターミナル(釜山)の入口ゲートをそれぞれモデルにしています。
※ながさき旅ネットHPより引用 
対馬野生生物保護センター 対馬野生生物保護センターは、対馬の希少野生生物保護の拠点となる環境省・長崎県・対馬市の施設です。ツシマヤマネコをはじめとする野生生物の生態やその現状についての解説、野生生物保護への理解を深めて頂くための普及啓発活動や希少野生生物の保護事業などを実施しています。
※ながさき旅ネットHPより引用 
 清水山城 厳原八幡宮の背後に控える清水山城跡は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の年である天正19年(1591)に構築したといわれています。肥前の名護屋、壱岐の勝本、上対馬の撃方山を結ぶ兵站線の駅城で独立状の丘陵清水山は馬背状を呈し、丘陵線上に、本丸、二の丸、三の丸と地形に即して階段状に営んでいます。規模はさほど大きくありませんが、歴史的には文禄慶長の役の遺跡、構造上からは遣禄頃の城跡、また、三郭には虎口の桝形の遺構が極めてよく残っているなど、国指定記念物でもあり、史跡としての価値が高いです。
※ながさき旅ネットHPより引用
 金石城 享禄元年(1528)の内乱で、「池の屋形」は炎上消失しました。脱出した宗将盛は国分寺に避難し、国分寺の東側は空いていたので、そこに新しい屋形を築きました。それが「金石屋形」です。寛文5年(1665)、義真は国分寺を日吉に移転し、金石屋形を拡張しました。城郭を整備し、大手門に櫓を建て、多門櫓を造ったのが同9年で、これより「金石城」あるいは「府城」ともいいますが、天守閣は造りませんでした。
※ながさき旅ネットHPより引用

 書籍

 対馬空港にて書籍を販売しています
 <書籍の内容について>
  対馬の交隣
韓国と対馬は40、50㎞しか距離がなく非常に近い国です。
昔から交流があり(途絶えてる時もありますが)様々な影響を受けています。
昔からの交流や歴史また対馬の野鳥や植物など自然に関することも記載されています。
もちろん金田城のことも記載されています。

     






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