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  続日本100名城・・・・・No.174 大内氏館
 ここは、大内氏24代弘世が正平15年(1360)頃それまでに館があった大内御坊から山口に移り、館を定めたところです。 大内氏は弘世以後歴代がここで政務をとり、その領国は、中国・九州までおよんだため、山口は西日本の政治経済の中心となりました。また、大内氏は海外との交易によって富の蓄積と異文化の移入、京の戦乱を避けて公卿・僧侶などの文化人がこの館を訪れたことによって、当時の山口は京都をしのぐほどの富みと文化を誇ったと言われています。天文20年(1551)大内氏31代義隆は重臣陶晴賢の叛乱により滅亡しました。その後、陶氏を滅ぼした毛利氏は、弘治3年(1557)大内義隆の菩提を弔うため、この館跡に龍福寺を建立しました。館は、百間四方の堀と土塁に囲まれた中に造られていたと言われています。現在は、ほとんどその面影を見ることは出来ませんが、山門の東側竹林の中に土塁の一部を見ることができます。

※館の説明板より引用

 
 概要  居館
 別名  大内館
 築年/廃年  15世紀半ば/―
 築城主  大内教弘
 歴代城主  大内教弘→政弘→義興→義隆→義長
 所在地  山口県山口市大殿大路
 最寄り駅  JR山口線 上山口駅 徒歩約10分
 最寄りIC  中国自動車道山口IC 国道262号線、→県道204号線経由
 駐車場  有(無料)  龍福寺山門前
 休館日  年中無休
 スタンプ設置場所  山口市歴史民俗資料館受付:月曜(祝日の場合は翌平日振替) 年末年始 展示替え期間
 大路ロビー:火曜日、お盆、年末年始
 ウェブサイト  大内文化まちづくりHP


  周辺の地図



  大内氏館の見どころ・その他情報
 新山口駅から車で大内氏館へ移動し山道前の駐車場に車を駐め早々に龍福寺山門前に。お寺の中に入ると、ザビエル布教の井戸(再現)があり昔ここで布教活動をしたとのことです。ザビエルも日本のあちこちに行ってるんですね。そして資料館の前にある馬の表情がリアルな大内義興公「馬上展望像」を見て資料館に入ろうと思ったところ資料館はやっていなくて中を見ることができませんでした。なぜ見ることできないんでしょうね。それから外に出てみると、復原の土塁や堀が周囲にあり昔の面影を感じることができました。あと、境内に庭園がありましたがこぢんまりとしてなかなかよかったです。龍福寺を後にして大路ロビーに向かいスタンプゲットです。大路ロビー内の係の人が愛想よくいろいろと教えていただきました。

 見どころ

 ◆土塁
 ◆堀
 ◆西門
 ◆庭園跡
等が見どころとなります。

 観光スポット

瑠璃光寺 奈良の法隆寺、京都の醍醐寺の五重塔とともに日本三名塔のひとつ。檜皮葺き総檜造りの優美な姿は、室町時代中期における最も秀でた建造物と評され、国宝に指定されている。
※マイフェバHPより引用
山口サビエル記念聖堂 わが国に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・サビエル来山400年を記念して建てられましたが、平成3年9月に焼失してしまいました。その後、平成10年4月に白亜に輝く新しい記念聖堂が再建され、懐かしい鐘の音が響いています。
※湯田温泉HPより引用 
山口県立美術館 定期的な特別展や郷土作家の作品を中心に収蔵。雪舟と雲谷派や狩野芳崖、香月泰男、松田正平らの作品が年数回のコレクション展で鑑賞できる。
※マイフェバHPより引用 
維新百年記念公園 山口県の都市公園の中核となる公園で、スポーツ・文化・レジャーの拠点として広く県民に親しまれています。また平成23年10月に開催されました、「第66回国民体育大会 おいでませ!山口国体」、「第11回全国障害者スポーツ大会 おいでませ!山口大会」のメーン会場としても利用された公園です。
※山口県HPより引用
高嶺城 山口市街の北西にそびえる標高338mの鴻ノ峰にある城跡で、大内氏遺跡の一つとして史跡指定をうけています。大内氏最後の義長が毛利軍の進軍に備え、弘治3年(1557)に築城された典型的な山城で、山頂に本丸跡などを残します。この山に登る道は、山口大神宮からも登山道があります。
※じゃらんHPより引用
湯田温泉 山陽路唯一の温泉郷として栄え、今もなお華やかな雰囲気に包まれている。その昔、一匹の白狐が夜な夜な湯に浸かって傷を治したという「白狐伝説」が言い伝えられ、マスコットにもなっている。市内には中原中也記念館があり、直筆の原稿や愛用品などが陳列されている。透明の弱アルカリ性単純温泉。
※じゃらんHPより引用

 書籍

 山口市歴史民俗資料館で書籍を販売しています。 書籍案内

     







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