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  続日本100名城・・・・・No.167 新宮城
 熊野川河口の南岸の小高い丹鶴山に築かれた眺望の良い城跡公園。元々は源為義の娘である丹鶴姫の住まいであったことから「丹鶴城」とも呼ばれています。元和5年(1619年)にそれまで地域を治めていた浅野氏に代わり、紀州藩主の初代徳川頼宣の付家老である水野氏が入城。その後10代にわたり長い統治が続き、現在の新宮市は城下町として栄えました。城郭には港の跡を見ることができ、技術の粋を結集した石垣からも当時の国力がうかがえます。2017年4月6日に日本城郭協会より「続日本100名城」に選定されました。

※新宮市観光協会HPより引用

 
 概要  平山城
 別名  丹鶴城、沖見城
 築年/廃年  元和4年(1618)/明治以降
 築城主  浅野忠吉
 歴代城主  浅野忠吉→水野重仲(重央)~重上~忠幹
 所在地  和歌山県新宮市新宮
 最寄り駅  JR紀勢本線新宮駅 徒歩10分
 最寄りIC  紀勢自動車道尾鷲北IC 国道42号線経由
 紀勢自動車道すさみ南IC 国道42号線経由
 駐車場  有(無料) 丹鶴城公園入り口を入って短い坂を登ると10台弱駐めることのできる駐車場と正明保育園左がわに観光客用の駐車場がある
 休館日  月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始(新宮市立歴史民俗資料館の休館日 お城は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  新宮市立歴史民俗資料館
 ウェブサイト  新宮市観光協会


  周辺の地図

         

  新宮城の見どころ・その他情報
 新宮城前の道路に到着も、駐車場への入り口をすぐに見つけることができず少々時間を費やす。無事駐車場に着いたあとは、もう一つの公園入り口から大手を通って松の丸へ。鐘の丸天守台、本丸と見学しましたが、崖崩れのため水の手には降りることができませんでした。なので、後から下からぐるりと回って水の手へいきましたが、昔の船着き場が想像できるほどしっかり遺構が残っていました。天守台の下で地元の方を見つけたので、新宮城のパンフレットがどこにいけばあるのかお聞きすると3ヶ所ぐらい教えていただき、後で新宮駅前の観光協会でゲットしました。あと、ケーブルカー跡を通って下まで降りることができるとお聞きしましたがあいにくまだ全部見学していなかったので実行せずでした。最後に、ここは城の下をJRが通っているという珍しい城です。列車が城の横を通っている水戸城や長篠城がありますが、下を通る城を見るのは初めてでした。

 見どころ

 ◆石垣
 ◆天守台
 ◆水ノ手
 ◆虎口
等が見所となります。

 観光スポット

熊野古道 和歌山県南部の熊野三山への参詣路。紀伊山地をたどる遠隔参詣路で、その道筋はさまざま。熊野街道とも言います。京から難波(なにわ)を経て海岸沿いに田辺へ、田辺から山間を本宮に至るが紀伊路で、途中遥拝(ようはい)休憩路は田辺から山間をたどる中辺路(なかへち)に分かれます。伊勢を回る伊勢路、十津川路、北山路、高野山を経る高野路、大峰山中をたどる修験の峰入路などがあります。2004年(平成16年)「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
※熊野市観光協会HPより引用
鬼ヶ城 世界遺産、そして国の天然記念物及び名勝「鬼ヶ城」は、数度にわたる急激な地盤の隆起と風・海蝕によって造り出された他に類を見ない奇岩地帯です。1.2kmにわたり大小無数の洞窟があり、千変万化の趣があります。「日本百景」や「新日本旅行地百選」に選定されています。
※熊野市観光協会HPより引用 
熊野速玉大社 熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は和歌山県新宮市にある神社です。熊野川の河口に位置する、熊野三山の一つ。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とし境内には神木とされる天然記念物の【ナギノの木】の大樹もあり。社殿や大鳥居など歴史ある建造物には色鮮やかな朱塗がほどこされていて、とても美しく参拝する人々を魅了してくれます。
※ドコ?南紀HPより引用 
徐福公園 秦の始皇帝の命により不老不死の霊薬を求めて渡来した徐福。現在、公園内には徐福の墓があり、平成6年(1994)8月に墓所を中心に中国風の楼門を設置するなどの整備を行いました。園内には徐福の墓のほか顕彰碑、徐福の重臣たち7人を祀った七塚の碑などがあります。
※新宮市観光協会HPより引用

 グルメ

新宮駅前の「かつ田」さんでマグロ丼を食べました。
サンマ寿司も食べたくてオーダーしたところ今日はないとのこと。日曜だったから仕入れられなかったと一人納得。さすが和歌山のマグロ、美味しかったです。

 書籍

 新宮市立歴史民俗資料館で書籍を販売しています

 <書籍の内容について>
  熊野誌第五十七号に特集として新宮城(丹鶴城)が掲載されています。はじめに水野家と新宮城について概略が説明されています。浅野幸長が慶長5年(1600)に紀州に転封となり、その朝の家時代の石垣から新宮城がどのように変遷したのか、絵図と写真を織り交ぜ解説されています。浅野家が転封になったあと家康の十男頼宣が紀州に入り、その家老として水野家も紀州に入り、御三家を支えた付家老の解説があります。また、平安末期に登場した丹鶴姫についての逸話が記載されています。

     







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