福知山城は、 天正7年(1579) ごろ、丹波平定に成功した明智光秀が丹波の拠点として新たに城を築いたのが始まりとされています。 以来、 戦乱の時代、城主が交代する中、順次整備が進められ、慶長5年(1600)
ごろに完成したようです。明治時代のはじめに廃城令で取り壊され、 石垣と銅門(あかがねもん)番所だけが残されていましたが、市民の瓦1枚運動などの熱意によって、3層4階の天守閣が、
昭和61年(1986)11月に再建されました。天守閣は、 望楼型の独立式を基本として復元され、初期天守閣の特徴がよく現れたものとなっています。石垣は、
築城当初の面影を残すもので、野面積み、乱石積み、穴太積みなどと呼ばれる、自然石をそのまま用いた豪放なもので、 福知山市の指定文化財となっています。一見乱雑に見えますが、
石材は奥に長く用いられて、強固な石垣が組み上げられています。石垣内部に石塔類が使われるなど、 安土城や二条城など織田信長にかかわるお城に共通する特徴を持っています。深さ50m
(城郭内湛水井としては日本一の深井戸)の「豊磐(とよいわ)の井」は、今も海抜30mの高さまで清らかな水をたたえています。天守閣内部は郷土資料館として公開し、
古代から近代にかけての、城や福知山にかかわる歴史資料を展示しています。
そして望楼からの城下の眺めは抜群です。
※福知山観光協会(ドッコイセ観光ガイド)HPより引用
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