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  続日本100名城・・・・・No.129 龍岡城
 和9年(1934)5月1日に国史跡に指定され、函館五稜郭とともに日本に二つしかない星形稜堡を持つ洋式城郭です。信州佐久に1万2千石、現在の愛知県岡崎市の三河国奥殿に4千石の領地を持つ大給松平氏は、宝永元年(1704)以来160年間にわたり奥殿に本拠を持ちながら、佐久にも陣屋を置き、領内25ヶ村の統治を続けてきました。11代乗謨(のりかた)の代となり、幕末激動の情勢に応じて、信州に本拠を移すことを計画し、文久3年(1863)6月に陣屋を置いていた田野口の地に新陣屋建設を決め、元治元年(1864)に着工し、慶応3年(1867)に竣工しました。用地1万余坪は田野口村から、また石材・木材などは領内から献納され、総費用は4万両余に上りました。乗謨は学才・識見ともにすぐれ、幕府の陸軍奉行・陸軍総裁・老中格などの要職を歴任しました。また洋学にも詳しく、練兵は他藩に先んじてフランス式を採用し、陣屋建設にあたってはフランスのヴォーバン元帥が考案したとされる稜堡式築城法を採用し、築造されたのが五稜郭です。この築城様式は大砲の進歩に伴い近代要塞に一歩近づいたもので、稜堡突端部に砲台を設けることにより、各稜堡から十字砲火をもって攻防することを目的としています。廃藩後の明治5年(1872)に、城は取り壊しになりましたが、濠と石垣、建物の一部であるお台所が城内に残されました。また大広間、書院、東通用門、薬医門などは佐久市内に分散して残存しています。


※佐久市のHPより引用

 
 概要  稜堡式
 別名  田野口陣屋、龍岡五稜郭、桔梗城
 築年/廃年  元治元年(1864年)/明治以降
 築城主  松平乗謨(大給恒)
 歴代城主  大給松平氏
 所在地  長野県佐久市田口
 最寄り駅  JR小海線臼田駅 徒歩20分弱
 最寄りIC  中部横断自動車道佐久臼田IC 県道121号線→県道93号線経由
 駐車場  有(無料)(ガイダンスセンター)
 休館日  毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は開館)、祝日の翌日、12月29日~1月3日 (ガイダンスセンターの休館日 お城は随時見学可能)
 スタンプ設置場所  史跡龍岡城跡ガイダンスセンター(五稜郭であいの館)
 ウェブサイト  佐久市観光ナビHP


  周辺の地図



  龍岡城の見どころその他情報
  2026年7月30日登城しました。
前日の夜に出発し30日の午前5時ごろ到着し、五稜郭であいの館の駐車場に車を停めます。まず、城の外側の北面を西の方へ移動し五稜郭公園で石で描かれた五稜郭の形をしたものを遊具の上から撮影。五稜郭であいの館に戻って裏側から内部の見学のため移動していると、建物の外側に続100名城のスタンプが置いてあるではありませんか。当初開館まで見学等するつもりでしたが、それまでにスタンプをゲットできたので後の行程を早めることができそうです。スタンプを押印してからいざ内部へ。大手門から中に入って左回りで見学です。土塁の上を歩いて外側の水堀を撮影しながら黒門跡、御台所に到着です。この御台所は現存している建物で当時の様子を今に伝えています。そして2023年3月に廃校になった田口小学校の裏側に周り、また土塁上を歩きながら堀を見てまわります。この小学校の裏側には穴門跡があります。ここでこの田口小学校は龍岡城という国の史跡である文化財の中にある唯一の小学校であったそうです。小学校の裏側を抜けて通用門から大手門へと戻ります。函館の五稜郭より規模が小さいので割と短時間で見学することができました。次に龍岡城の北の入口にある枡形門跡に移動です。駐車スペースがあったのでそこに車を停めて見学しますが、城から離れたところにある門跡をよく残してくれたと思います。良好な状態で保存されており貴重な遺構なでのこれからも保存していただくようにお願いしたいものです。写真の五稜郭であいの館の裏側にスタンプが置いてあります。

 見どころ

 ◆土塁
 ◆堀
 ◆枡形門跡
 ◆石垣
 ◆御台所
等が見所となります。

 観光スポット

日本で海岸線から一番遠い地点 佐久市と群馬県南牧村との県境付近に位置し、「雨川ダム」の南東約2,200mの尾根近くの地点が「日本の海岸線から一番遠い地点」です。平成8年(1996年)に国土地理院の調査により特定されました。 この地点は標高約1,200mの山中にあり、海岸線まで約115kmの地点となります。
※佐久市観光ナビHPより引用
新海三社神社 新海三社神社は、興波岐命(おきはぎのみこと)を主神として東本社に祀り、その父神・建御名方命(たけみなかたのみこと)を中本社に、伯父神・事代主命(ことしろぬしのみこと)を西本社に祀ります。特に興波岐命が、新開神(にいさくのかみ)とも称されることにより、「佐久」の地名の由来ともいわれるほか、諏訪湖の御神渡の「佐久の渡」は、興波岐命が湖上にて父神とご参会された跡とされています。
※佐久市観光ナビHPより引用 
田口峠狭岩峡 田口峠狭岩峡(せばいわきょう)は、長野県佐久市田口の田口峠付近、馬坂川沿いにある険しく美しい渓谷です。妙義荒船佐久高原国定公園内に位置し、谷幅が最も狭まった急峻な地形と、秋の美しい紅葉で知られています。
 蕃松院 田口地区の静かな里山に佇む輪奐整然とした曹洞宗の古刹。参拝客は、諸行事に参加したり四季折々の風景を楽しんだりと、心穏やかに時を過ごしている。1580年、群馬県宝積寺第九世儀山沅孝大和尚により開山。小諸城主松平康国公が、父である田口城主依田信蕃公供養の為、居館跡に堂宇を再建し蕃松院とした。また田野口藩歴代藩主の位牌が安置され、五稜郭を築城した松平乗謨公(後の大給恒)も祀られている。
※佐久市観光ナビHPより引用


     






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